の中に火種を用意してあるのだから、これは初めから地震に因る火災の製造器械をすえ付けて待っているようなものである。大火が起これば旋風を誘致して炎の海となるべきはずの広場に集まっていれば焼け死ぬのも当然であった。これは事のあった後に思うことであるが、われわれにはあすの可能性はもちろん必然性さえも問題にならない。
 動物や植物には百千年の未来の可能性に備える準備ができていたのであるが、途中から人間という不都合な物が飛び出して来たために時々違算を生じる。人間が燈火を発明したためにこれに化かされて蛾《が》の生命が脅かされるようになった。人間が脆弱《ぜいじゃく》な垣根《かきね》などを作ったためにからすうりの安定も保証されなくなってしまった。図に乗った人間は網や鉄砲やあらゆる機械をくふうしては鳥獣魚虫の種を絶やそうとしている。因果はめぐって人間は人間を殺そうとするのである。
 戦争でなくても、汽車、自動車、飛行機はみんな殺人機械である。
 このごろも毎日のように飛行機が墜落する。不思議なことには外国から遠来の飛行機が霞《かすみ》が浦《うら》へ着くという日にはきまって日本のどこかで飛行機が墜落することになっているような気がする。遠来の客へのコンプリメントででもあるかのように。
 とんぼやからすが飛行中に機関の故障を起こして墜落するという話は聞かない。飛行機は故障を起こしやすいようにできているから、それで故障を起こすし、鳥や虫は決して故障の起こらぬようにできているから故障が起こらなくても何も不思議はないわけである。むしろ、いちばん不思議なことは落ちるときに上のほうへ落ちないで必ず下に落ちることである。物理学者に聞けば、それは地球の引力によるという。もっと詳しく聞くと、すぐに数式を持ち出して説明する。そんならその引力はどうして起こるかと聞くと事がらはいっそうむつかしくなって結局到底満足な返答は得られない。実は学者にもわからないのである。
 われわれが存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間がいちばん思い上がってわれわれの主人であり父母であるところの天然というものをばかにしているつもりで、ほんとうは最も多く天然にばかにされている時代かもしれないと思われる。科学がほんの少しばかり成長してちょうど生意気盛りの年ごろになっているものと思われる。天然の玄関をちらとのぞいただけで、もうことごとく天然を征服した気持ちになっているようである。科学者は落ち着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないでいたずらにきたならしい絵の具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないでひとりぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時にはわれわれはもう少し謙遜《けんそん》な心持ちで自然と人間を熟視し、そうして本気でまじめに落ち着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科学的なユートピアの真如《しんにょ》の月をながめる宵《よい》が来るかもしれない。
 ソロモンの栄華も一輪の百合《ゆり》の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。
[#地から3字上げ](昭和七年十月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行
※「防御の網をくぐって市の」は、底本では「防御の網をぐくって市の」ですが、親本を参照して直しました。
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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