指先でほごして開かせようとしても、この白い繊維は縮れ毛のように巻き縮んでいてなかなか思うようには延ばされない。しいて延ばそうとするとちぎれがちである。それが、空の光の照明度がある限界値に達すると、たぶん細胞組織内の水圧の高くなるためであろう。螺旋状《らせんじょう》の縮みが伸びて、するすると一度にほごれ広がるものと見える。それでからすうりの花は、言わば一種の光度計《フォトメーター》のようなものである。人間が光度計を発明するよりもおそらく何万年前からこんなものが天然にあったのである。
 からすうりの花がおおかた開ききってしまうころになると、どこからともなく、ほとんどいっせいにたくさんの蛾《が》が飛んで来てこの花をせせって歩く。無線電話で召集でもされたかと思うように一時にあちらからもこちらからも飛んで来るのである。これもおそらく蛾が一種の光度計を所有しているためであろうが、それにしても何町何番地のどの家のどの部分にからすうりの花が咲いているということを、前からちゃんと承知しており、またそこまでの通路をあらかじめすっかり研究しておいたかのように真一文字に飛んで来るのである。
 初めて私の住居を尋ねて来る人は、たとえ真昼間でも、交番やら店屋などを聞き聞き何度もまごついて後にやっと尋ねあてるくらいなものである。
 この蛾《が》は、戸外がすっかり暗くなって後は座敷の電燈をねらいに来る。大きなからすうりか夕顔の花とでも思うのかもしれない。たまたま来客でもあって応接していると、肝心な話の途中でもなんでもいっこう会釈なしにいきなり飛び込んで来て直ちにせわしく旋回運動を始めるのであるが、時には失礼にも来客の頭に顔に衝突し、そうしてせっかく接待のために出してある茶や菓子の上に箔《はく》の雪を降らせる。主客総立ちになって奇妙な手つきをして手に手に団扇《うちわ》を振り回してみてもなかなかこれが打ち落とされない。テニスの上手《じょうず》な来客でもこの羽根のはえたボールでは少し見当が違うらしい。婦人の中には特にこの蛾《が》をいやがりこわがる人が多いようである。今から三十五年の昔のことであるがある田舎《いなか》の退役軍人の家でだいじの一人むすこに才色兼備の嫁をもらった。ところが、その家の庭に咲き誇った夕顔をせせりに来る蛾の群れが時々この芳紀二八の花嫁をからかいに来る、そのたびに花嫁がたまぎるような悲
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