耶蘇《やそ》もいろいろなちがった言葉で手首を柔らかく保つことを説いているような気がする。しかし近ごろの新しい思想を説く人の説だというのを聞いていると、まさしくそれとは反対でなければならないことになるらしく見える。なんでも相生の代わりに相剋《そうこく》、協和の代わりに争闘で行かなければうそだというように教えられるのであるらしい。その理論がまだ自分にはよくわからない。
 三つの音が協和して一つの和弦《かげん》を構成するということは、三つの音がそれぞれ互いに著しく異なる特徴をもっている、それをいっしょに相戦わせることによってそこに協和音のシンセシスが生ずる。しかしその場合の争闘相剋は争闘のための争闘ではなくて協和のための争闘である。勝手な音を無茶苦茶に衝突させ合ったのではいたずらに耳を痛めるだけであろう。
 バイオリンの音を出すのでも、弓と弦との摩擦という、言わば一つの争闘過程によって弦の振動が誘発されるとも考えられる。しかしそれは結局は弦の美しい音を出すための争闘過程であって、決して鋸《のこぎり》の目立てのような、いかなる人間の耳にも不快な音を出すためではないのである。しかし弓を動かす演奏者の手首がわがままに堅くては、それこそ我利我利という不快な音以外の音は出ないであろう。そうしてそういう音では決して聞く人は踊らないであろう。
 欧州大戦前におけるカイゼル・ウィルヘルムのドイツ帝国も対外方針の手首が少し堅すぎたように見受けられる。その結果が世界をあのような戦乱の過中《かちゅう》に巻き込んだのではないかという気がする。ともかくもこれにもやはり手首の問題が関係していると言ってもよい。これは盛運の上げ潮に乗った緊張の過ぎた結果であったと思われる。深くかんがみるべきである。
 近ごろスペインの舞姫テレジーナの舞踊を見た。これも手首の踊りであるように思われた。そうしてそのあまりに不自然に強調された手首のアクセントが自分には少し強すぎるような気もした。しかしこれがかえっていわゆる近代人の闘争趣味には合うのかもしれないと思われるのであった。
 しかし、時代思想がどう変わってもバイオリンの音の出し方には変わりがないのは不思議である。いわゆる思想は流動しても科学的の事実は動かないからであろう。馬の手綱《たづな》のとり方の要領の変わらないのは、千年や二千年ぐらいたっても馬はやはり同じ馬だからであろう。一人の哲学者が一言二言いったというだけで人間全体が別種の存在に変わって人間界の方則があべこべになるということは想像ができない。
 ついでながら、揺れる電車やバスの中で立っているときの心得は、ひざの関節も足首の関節も柔らかく自由にして、そうして心もちかかとを浮かせて足の裏の前半に体重をもたせるという姿勢をとるのだそうである。大地震の時に倒れないように歩くのも同じ要領だということである。これも言わば足の場合における「手首の問題」とでも言われるであろうか。
[#地から3字上げ](昭和七年三月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
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