どを見る十分な機会を得た。勿論それは非公式にだ。到る処に私は同じ事、即ち十分に食物を与へられ十分に注意された子供の見世物学校と、其の子供等の飢えてゐる他の学校とを見た。屡々私はそれらの学校の係りの男女が子供等のために熱心に努めて、官僚政治と闘つてゐるのを見た。が、それは皆な無駄な戦ひで、最後には彼等は万能の機関によつて逐《お》ひのけられて了ふだけの事であつた。
私はロシアを去る少し前にモスクワで此の事の著しい実例を見た。其の或る区に、私がロシアで見た一番よく組織されそして一番よく設備された、模範託児所がある。其の所長はごく稀れに見る婦人で、理想家で長い経験のある教育家で、非常な働き手であつた。彼女は『死んだ魂』の慣例に断乎として反対した。彼女はピオレルに食はせるためにピイタアから奪ふと云ふやうな事をしたくなかつたのだ。小役所の小役人に賄賂を使ひたくなかつたのだ。
例の通り、或る闘ひが彼女に対して始められた。此のあさましい戦ひの首領は共産主義者である其の託児所の医師であつた。有らゆる批難が所長の上に向けられた。が、其の一つとして何んの根拠もなかつた。しかし敵は遂に彼女を其の地位から退かしめるまで其の手を休めなかつた。そして其の地位から退くと云ふ事は、同時に又、其の住んでゐた室をもなくする事であつた。所長は生れて四ヶ月目の赤児の母であつた。
八
それは十一月で、天気は寒かつた。それでも此の託児所のために戦つた所長はそこを出るようにと命ぜられた。彼女の赤児のために彼女は其の建物の中の他の一室を与へられるまではそこを去る事を拒絶した。そして彼女は三年間暖められた事のなかつた地下室の小さな暗い湿めつぽい一室を与へられた。そして此の墓の中で、其の赤児は病気になつて、それ以来病み苦しむ事となつた。
ルナチヤルスキイはこんな事を知つてゐるだらうか。共産党の首領等はこれを知つてゐるだらうか。或る人達は勿論知つてゐる。しかし彼等は其の『重要な国事』であまりに多忙なのだ。そして彼等はこんな『些細な事』には無感覚になつてゐるのだ。そして又彼等もやはりボルシエヴイキ官僚政治のからくりの中に巻きこまれてゐるのだ。
尤も、此の共産主義国家が他の政府の上に出てゐる或る一事はあつた。それは子供の労働の廃止だ。これは共産主義者を十分に信用していゝ其の最も重大な成功だ。が、レニンの新経済政策は今、死人をまでも甦らせて、ロシアを資本主義に後戻りさせてゐる。ボルシエヰキ政府はやがて其の豊富な財源と子供の労働とで他の有らゆる文明国の政府と『平等』になるだらう。
[#地付き](第三次『労働運動』第八号、一九二二年一〇月一日)
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
初出:「労働運動(第三次) 第八号」
1922(大正11)年10月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
※「ボルシエヴイキ」と「ボルシエヰキ」、「殖民地」と「植民地」の混在は底本の通りにしました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2009年6月12日作成
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