力によつて動かされた驚くべき婦人の地位の変化は婦人が産業の角逐場に入りこんで以来如何に僅少の時日を経過したかを省みる時は誠に驚嘆せざるを得ないのである。六百万の婦人賃金労働者、男子と同等な権力を有し、男子と等しく利用せられ、掠奪せられ、ストライキを企て、否、餓死にすら与《あず》かる六百万の婦人、閣下、これ以上の事がありませうか? さうです、人生のあらゆる道程にあつて最高な頭脳の労働から鉱山或は鉄道の労働、否探偵及び巡査の職にすら従事する六百万の婦人賃金労働者。たしかに解放は完成されたのです。
併《しか》しこれにも関はらず、婦人賃金労働者の大軍中の極めて少数は男子と同じく労働を不断の流出と見做してゐる。男子は如何に老衰しても、自主独立を教へられた人間だ。オゝ、私は何人もわが経済的踏み車中に在つて真に独立することの出来ないのを知つてゐる。而《しか》も尤《もっと》も哀れな男の標本も寄生者たることを悪《にく》む、否、少なくとも寄生者であると知られることを憎んでゐる。
婦人労働者は自己の位置を一時的と考へ、最初の入札者によつて投げ出さるることを予期してゐる。それが男子より婦人を組織するの如何に困難であるかの理由である。『どうして私は組み合ひなどに加盟しませう? 私は結婚して家庭を造らうとしてゐるのです。』彼女は幼少からそれを以て最終の天職と見做すことを教へられなかつただらうか。然し彼女は家庭がたとへ工場の如く大きな牢獄でないとしても一層堅固な戸と閂《かんぬき》を有してゐることを学ぶのである。家庭はどんなものでも脱れることが出来ない忠実な番人を持つてゐる。最も悲惨なことは家庭がもはや賃金奴隷から彼女を自由にすることなく、単に彼女の仕事を増加することである。
『労働、賃金、並に人口集積』に関する委員に附托せられた最近の統計によると、ニユーヨルク市の労働者中既婚者は僅《わず》かにその一割に過ぎない。而もかれ等は世界中に於て最も低廉な賃金によつてその労働を継続しなければならないのだ。この恐るべき現象に加ふるに家庭の労役が伴ふのである。かくの如くして家庭の保護と光栄の何ものが残されるのであらう? 実際、結婚した中流の少女でさへ自からの家庭に就て話すことは出来ないのだ、彼女の周囲を作り出すのは男だからだ。夫が獣か愛人かと云ふことは重要ではない。私が証拠立てようと望むのは結婚が婦人に家庭を保証するのは単に夫の恩恵によつてのみだと云ふことだ。そこで彼女は年中夫の家庭で動きまわつてゐる。その中に彼女の人生並に人事に対する見解が彼女の周囲の如く平凡、狭隘、蕪雑になる、よし彼女がグヅでくだらなく、口やかましく、おしやべりで堪へがたく遂に男を家庭から運び出すやうになつても少しも不思議はない。彼女は行きたくも行くことが出来ない。行くべき場所がないからだ。のみならず、大抵の婦人は結婚すると間もなく凡《あら》ゆる能力を全く失ひ、外界に対して絶対に無能なものと化する。彼女の外貌は不注意になり、動作は醜くなり、決断が従属的になり、判断が臆病になり、大抵の男が憎悪侮蔑するやうな荷厄介なものになる。
併し若し結婚がないとしたら、子供はどうして保護されるだらうか? 結局これが尤も重要な理由なのではあるまいか? 何と云ふ虚偽、偽善な言ひぐさだらう! 結婚が子供を保護しても貧乏で家のない子供達が数千人ゐるではないか。結婚が子供を保護しても孤児院と感化院とは充ち溢れてゐるではないか、そして小児虐待防止会は常に『愛する』両親から小さい犠牲者を救ひ出し、かれ等の両親より更に親切な小児保護会の手許に彼等を置こうと務めつつあるではないか。噫《ああ》、なんと云ふ侮辱だらう。
結婚は『馬を水辺に連れて行く』力を持つてゐるかも知れない、然し馬に水を飲ませる力は持つてはゐない。法律は父を捕縛して彼に囚人の衣服を着せる、だがそれで子供の飢餓をとどめる事が出来たか? 若し父親が仕事を持たず、或は偽名した場合に、結婚はどうするか? 結婚は法律に訴へてその男を『Justice』(裁判)に連れて来る。彼を戸に安全に閉ぢ込める。然し彼の労働は子供の為めにはならず、国家の為めになる。子供はただ父の衣物のかすかな記憶を受取るばかりである。
所謂婦人の保護――そこに結婚の呪咀が横たわるのだ。結婚は真に彼女を保護しないばかりでなく、保護と云ふ思想そのものが既に嫌忌すべきである。かくの如きは実に人生を蹂躙侮辱し、人間の威厳を貶《おと》すものである。この寄生的制度は永久に没却すべきである。
それは資本制度と称する根本組織と相似たものである。かくの如きは人間天賦の権を剥奪し、その生長を防止し、肉体を毒し、人間を無智、貧窮、従属的ならしめ、而して後人間自尊の最後の痕跡に栄ゆる慈善を形成する。
結婚制度は婦人を寄
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