すてさせた。ずるずるとこのいやな方へ引ずってきた。そのくせ、やはり自分の方へも引きずりそうにしている。登志子は新橋でここが最後の別れの場となるかもしれないと思ったときそこにたっている男の顔をこまかくふるえている胸を抱いてヂッと見た。この男と再び会えるものか会えないものか分らない。もし会えないものとしたら彼女にはそれが一生悲痛な思い出として、いつまでも忘れられないものになるだろう。そう思うと彼女はじっと男の顔を眺めている勇気はない。彼女は故郷の幼い弟に頼まれた飛行機の模型を買うのを口実に、銀座の通りまで行くといって停車場を出ようとした。改札時間までに間があったので――
「僕が一緒に行ってやろう」
男はすぐに気軽に出てきた。二人は並んで明るい町を歩いた。男は一軒々々それらしい家の前にたっては尋ねてくれたが目的の模型は見つからなかった。登志子はもうそんな買物のことなんかどうでもよかった。もうとても二人きりでは手を握り合うことも出来まいと思ったのに、思いがけない機会を見出したことがうれしくもあり、かえって悲しくも思われた。
「もっと先まで行けばあるだろうけれども時間がないかもしれない」
「ええもうよござんす。引き返しましょう、皆が待ってるでしょうから」
二人はそこの角から暗い横町にはいって淋しい裏通りを停車場の方に急いで引き返していった。
停車場の石段をよりそって上るとき二人は手が痛くなる程強く握り合った。改札口に近く、まき子の後姿が見えた。傍には世話になった先生や世話焼き役の田中の小父さん等が一緒にいた。小父さんは登志子の顔を見ると昼の汽車に後れたことを彼女のためだといって責めた。登志子の興奮した荒く波立っている心に小父さんの小言は堪えきれない程腹立たしいものだった。自分に小言をいう資格のない人につまらないことをいわれたということが第一に不快だった。彼女は熱した唇を震わして眼にいっぱい涙をためて小父さんといい争った。――
登志子の新しい追憶はずんずん進んでいった。やがてそれが現在そこに、門司の停車場に腰かけている自分にまで返ってきたときにしみじみ彼女は、親しみの多い一番彼女をいたわってくれる、同情してくれる、東京からはなれてきたことを思った。一昨夜だ、そうだった一昨夜まであすこにいた。そしてあの人の顔を見て話をした。あの汽車に乗ったばかりに、こんな処に運ばれてきた
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