が脱字、366−12]を見上げながら訊ねました。
「ああ帰った。Yの奴、Mが帰ろうというと、『三月だというのに筍の顔なんか見て帰れるかい。俺あ御馳走になって帰るんだ』といっていたから、今日は君は招待された客じゃないのだ、御馳走することはできないから帰れって帰してやった。」
「困った人ね。」
私はただそういうよりほかはありませんでした。それと同時に、図々しいYに対しては、私は助かった、という気がしただけでしたけれども、Mさんには何となく済まない気がしました。
間もなく私共は一時雑誌を中止して鎌倉へ引越しました。その冬、第二次の「労働運動」を初める頃までに、二三度遊びに来ましたが、彼はもう何となく、私共に反感を持つと同時に煙たがっていました。そして帰りにはきっと乏しいOの財布をはたかせたり、最後にはその上に着物までも質草に持っていくような真似をしました。
その後、彼はもう猛烈にOの悪口を云っていることを私共は知っていました。彼は同志をとおしては、雑誌をはじめるということを口実に金を要求してきました。が、Oは他人を通じてのその無心にはいっさい耳を傾けませんでした。
Oが第二次の「労働運動」をはじめてからは、明らかに敵意を示しはじめました。同時に自分でも雑誌をはじめましたが、それは、遂にOの予言どおりに、彼を真面目な運動からそらして、一個のゴロツキとする直接の原因になりました。私共には、地方のあちこちの仲間の間まで歩きまわって、彼が金を集めているという話が聞こえました。やがてその次には、彼がOや仲間を売ったといういろんな風評を聞くようになりました。
彼がロシアへ立つ前に仲間の人々に対して働いた言語同断なあらゆる振舞いは、もう人間としてのいっさいの信用を堕すに充分でした。それ以後も、彼はただ、今はもうそうせずには生きてゆくことができない欺瞞で、自他ともに欺きながら生きているのです。彼はもう、今はおそらく仲間や、少くとも仲間の人達が近い交渉を持っている人々の処では、何の信用もつなぐことのできない境遇に追い落されています。
しかし、彼の持ち前の図々しさと自惚れは、まだ彼をその堕落の淵に目ざめすことができないのです。私は彼の目ざましかった初期の運動に対する熱心さや、彼の持っている、そして今は全く隠されているその熱情を想うたびに、彼のために惜しまずにはいられません。が、
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