だまって明神様へお詣りしたのは謝るから、入れて頂戴」と声を掛けたが、あけに立つ気配もなかった。
「いいわよ」
安子はいきなり戸を蹴ると、その足でお仙の家を訪れた。
「どうしたの安ちゃん、こんなに晩く……」
「明日田舎へゆくからお別れに来たのよ」
そして安子はとりとめない友達の噂話をはじめながら、今夜はこの家で泊めて貰おうと思ったが、ふと気がつけばお仙はともかく、お仙の母親は、界隈の札つき娘で通っている女を泊めることが迷惑らしかった。安子はしばらく喋っていた後、
「明日もしうちのお父つぁんに逢ったら、今夜は本郷の叔母さんちへ泊って田舎へ行ったって、そう云って頂戴な」
そう言づけを頼んで、風の中へしょんぼり出て行ったが、足はいつか明神様へ引っ返していた。二度目の明神様はつまらなかったが、節分の夜らしい浮々したあたりの雰囲気に惹きつけられた。雑閙に押されながら当てもなし歩いていると、
「おい、安ちゃん」と声を掛けられた。
振り向くと、折井という神田の不良青年であった。折井は一年前にしきりに自分を尾け廻していたことがあり、いやな奴と思っていたが、心の寂しい時は折井のような男でも口を利けば慰さめられた。
並んで歩き出すと折井は、
「どうだ、これから浅草へ行かないか」
一年前と違い、何か押しの利く物の云い方だった。折井は神田でちゃちな与太者に過ぎなかったが、一年の間に浅草の方で顔を売り、黒姫団の団長であった。浅草へゆくと、折井は簪を買ってくれたり、しるこ屋へ連れて行ってくれたり、夜店の指輪も折井が買うと三割引だった。
「こんな晩くなっちゃ、うちへ帰れないわ」
安子が云うと、折井はじゃ僕に任かせろと、小意気な宿屋へ連れて行ってくれた。部屋にはいると、赤い友禅模様の蒲団を掛けた炬燵が置いてあり、風呂もすぐにはいれ、寒空を歩いてきた安子にはその温さがそのまま折井の温さかと見えて、もういやな奴ではなかった。
いざという時には突き飛ばしてやる気で随いてきたのだが、抱かれると安子の方が燃えた。
折井は荒木と違って、吉原の女を泣かせたこともあるくらいの凄い男で、耳に口を寄せて囁く時の言葉すら馴れたものだったから、安子ははじめて女になったと思った。
翌日から安子は折井と一緒に浅草を歩き廻り、黒姫団の団員にも紹介されて、悪の世界へ足を踏み入れると、安子のおきゃんな気っぷと美貌
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