なら鴎外を読んだあとで、あわてて誰かの鴎外研究を繙いてみたりするようなことは避けている。鴎外の作品という実物にふれているたのしみを味えば、もうそれで充分だと思う。結論がたやすく抜き書きできたりするような書物はだから僕には余り幸福を与えてくれない。音楽に酔うているようなたのしみを、その書物のステイルが与えてくれるようなものを、喜んで読みたいと思うのである。アランや正宗白鳥のエッセイがいつ読んでも飽きないのは、そのステイルのためがあると思っている。このひと達へ作品からは結論がひきだせない。だから、繰りかえし読む必要があるし、そしてまたそれがたのしいのである。抜き書きをしない代り絶えず繰りかえし読む、これが僕の唯一の読書法である。そして繰りかえし読むことがたのしいような書物を座右に置きたいと思う。
高等学校時代ある教授がかつて「人生五十年の貧しい経験よりもアンナカレーニナの百頁を読む方がどれだけわれわれの人生を豊富にするかも知れない」と言った言葉を、僕はなぜか印象深く覚えているが、しかし二十二歳の時アンナカレーニナを読んでみたけれども、僕はそこからたのしみを得ただけで、人生かくの如しという
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング