そんな怖い顔せんとくなはれ。その代り、売った金は返しまっさかい」
 そう言って、上衣のポケットに手を入れた途端、亀吉は、
「あッ!」
 と、真青になった。
 落したのか、掏られたのか、二千円の金はいつの間にかなくなっていたのだ。
「しもたッ。落した」
 亀吉が叫ぶと、
「いや、掏られたんだ。あの男だなア」
 小沢は今さき自分がつけていた男の顔をちらと想い出した。
「――掏摸が掏られるなんて、だらしがないぞ」
 しかし、亀吉はそれには答えず、しきりにポケットの中を探していると、一枚の紙片が出て来た。
 それには鉛筆の走り書きで――
[#ここから1字下げ]
「今夜十時中之島公園、図書館の前で待つ」
                    隼
  豹吉へ
 二伸 亀吉の二千円は掏らせて貰った。
    悪く思うな!
[#ここで字下げ終わり]

    夜のポーズ

 落日の最後の明りが築港の海に消えてしまうと、やがて大阪に夜が来た。
 太陽の眩しい光に憧がれる人達が姿を消し、夜光虫の青白い光に憧がれる人間共が大阪の盛り場に蠢く時が来たのだ。
 難波の闇市場の片隅では――
 次郎、三郎の兄弟が相変らず靴磨きの道具を前にして、鉛のようにさびしく、ちょぼんと坐っていた。
 昼間の場所は夜になると、真っ暗になるので商売も出来ない。
 だから、食堂の光がかすかに洩れて来る場所へ移ったが、さすがに夜は殆ど客は来なかった。
 それでも、じっと坐っていたのは、家にたった一人の肉親の母親が病気で臥ているからであろう。母親のことが気になって、一分でも早く家へ帰りたかったが、しかし、それよりも先立つのは、
「一円でも沢山持って帰ろう」
 という想いであった。
 食堂から洩れて来るのは、光だけではなかった。
 肉を焼いているのか、その香いがプンプン漂ようて来る。
「ああ、ええ香がしよる」
 三郎はちいさな鼻をピクピクさせて、
「――兄ちゃん、ハナヤのカツレツ美味かったなア」
「うん、オムレツも美味かったぜ」
 と、次郎も唾をのみこんだ。
「フズーズボンチも美味かったな」
 と、三郎、
「阿呆! フルーツポンチや。フズーズボンチとちがうわい」
 と、次郎は叱りつけたが、ふと、ためいきをついて、
「――しかし、珈琲も美味かったぜ」
「わいはあんなにがいもンより、エビフライの方がええ。――ああ、おなか
前へ 次へ
全71ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング