と、小沢は躊躇したが、考えてみれば宿なしだ。
 夜も更けている。それに、まさかアベノの宿屋へも行けない。
「そうですね」
 と、ちょっと考えるように言って、
「――じゃ、お世話になりますかな」
「はあ。どうぞ!」
 道子の眼は急にいきいきと輝いた。
 小沢はその眼を見ると、はっとした。
 そして、お互い暫く言葉もなくじっと眼と眼を見合っていた。
 道子の顔は何か上気して、ぼうっと赧かった。小沢は自分の顔の筋肉がこわばっているのを、意識してふと心の姿勢が崩れて行く危なさに、はっとした。
 夜は次第に更けて行った。
 が、作者はこの二人にとっては、かなり重要だった一夜を描写する暇をもはやもたない。先を急ごう。
 なぜなら、翌朝小沢と道子がS署へ行った時、二人を待ち受けていた偶然の方が、作者にとって興味が深いからだ。

 小沢と道子がS署へ出頭した時二人を待ち受けていた偶然とは――。
 まず、小沢は雪子の係の刑事に会うて、雪子の釈放を求めた。
 刑事は雪子を留置場から呼び出して、事情をきいた。
 雪子ははじめ、なぜ裸のまま飛び出したのか、その理由を語ろうとしなかったが、小沢が傍から、
「君、何もかも言い給え。こちらではちゃんと判ってるんだよ。ガマンの針助がつかまって、すっかり自白したんだから」
 と言うと、ほっとしてはじめて、裸のまま針助の家を飛び出した理由を語った。
 夜の女だった雪子は、針助と知らずに袖を引いて、針助の家に連れ込まれて、危く刺青をされようとした。
 だから、逃げたのだが、しかし、もしそのことを小沢に言ってしまえば、青蛇団の秘密がばれてしまう――と、おそれたのである。
 雪子は青蛇団とはゆかりはなかったが、青蛇団の豹吉には、弟に対するような愛情を抱いていた。
 だから、青蛇団をかばいたかったのである。
 アベノ橋の宿屋で着物を盗んで逃げたのも、ふと魔がさしたとはいうものの、実は小沢が帰って来て、いろいろ問い訊されると、もう隠し切れないかも知れない――と、思ったからと、一つには、これ以上小沢に心配をかけたくない――と、思ったからだった。
 その雪子の話をきいて、一番喜んだのは誰か。むろん道子である。
「あ、そうだったのか。小沢さんが女の着物がほしいとおっしゃってたのは、そのためだったのか」
 道子は小沢を疑っていたことを、済まなく思った。
 雪子はそんな
前へ 次へ
全71ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング