妹だと分った。はっと緊張《きんちょう》し、「よう来てくれはりました」初対面の挨拶代りにそう言った。連れて来た女の子は柳吉の娘だった。ことし四月から女学校に上っていて、セーラー服を着ていた。頭を撫《な》でると、顔をしかめた。
一時間ほどして帰って行った。夫に内緒で来たと言った。「あんな養子にき、き、気兼ねする奴があるか」妹の背中へ柳吉はそんな言葉を投げた。送って廊下《ろうか》へ出ると、妹は「姉《ねえ》はんの苦労はお父さんもこの頃よう知ったはりまっせ。よう尽してくれとる、こない言うたはります」と言い、そっと金を握らした。蝶子は白粉気《おしろいけ》もなく、髪もバサバサで、着物はくたびれていた。そんなところを同情しての言葉だったかも知らぬが、蝶子は本真《ほんま》のことと思いたかった。柳吉の父親に分ってもらうまで十年掛ったのだ。姉さんと言われたことも嬉しかった。だから、金はいったん戻す気になった。が無理に握らされて、あとで見ると百円あった。有難かった。そわそわして落ちつかなかった。
夕方、電話が掛って来た。弟の声だったから、ぎょっとした。危篤《きとく》だと聞いて、早速駆けつける旨、電話室から病室へ言いに戻ると、柳吉は「水くれ」を叫んでいた。そして、「お、お、お、親が大事か、わいが大事か」自分もいつ死ぬか分らへんと、そんな風にとれる声をうなり出した。蝶子は椅子に腰掛けて、じっと腕組みした。そこへ泪が落ちるまで、大分時間があった。秋で、病院の庭から虫の声もした。
どのくらい時間が経ったか、隙間風が肌寒くすっかり夜になっていた。急に、「維康さん、お電話でっせ」胸さわぎしながら電話口に出てみると、こんどは誰か分らぬ女の声で、「息を引きとらはりましたぜ」とのことだった。そのまま病院を出て駆けつけた。「蝶子はん、あんたのこと心配して蝶子は可哀想なやっちゃ言うて息引きとらはったんでっせ」近所の女達の赤い目がこれ見よがしだった。三十歳の蝶子も母親の目から見れば子供だと種吉は男泣きした。親不孝者と見る人々の目を背中に感じながら、白い布を取って今更の死水《しにみず》を唇につけるなど、蝶子は勢一杯《せいいっぱい》に振舞った。「わての亭主も病気や」それを自分の肚への言訳にして、お通夜《つや》も早々に切り上げた。夜更けの街を歩いて病院へ帰る途々《みちみち》、それでもさすがに泣きに泣けた。病室へは
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