たものもなかったが、腹巻の中にいつぞや出した古手紙が皺くちゃになってはいっていたため、順平に知らせがあり、せめて死に顔でもみることが出来たとは、やはり兄弟のえにしだといわれて、順平は、どんな事情か判らぬが、よくよく思いつめる前に一度訪ねてくれるなり、手紙くれるなりしてくれれば、何とか救う道もあったものをと何度も何度も繰り返して愚痴った。病院の食堂で玉子丼を顔を突っこむようにして食べていると涙が落ちて、なにがなし金造への怒りが胸をしめつけて来た。
ところが、村での葬式を済ませた時、ふと気が付いてみると、やはり金造には恨みがましい言葉は一言もいわなかった様だった。くどく持ち出された三十円の金を、弁償いたしますと大人しく出て、すごすごと大阪へ戻って来ると、丁度その日は婚礼料理の註文があって目出度い目出度いと立ち騒いでいる家へ料理を運び、更《おそ》くまで居残ってそこの台所で吸物の味加減をなおしたり酒のかんの手伝いをしたりした揚句、祝儀袋を貰って外へ出ると皎々たる月夜だった。下寺町から生国魂神社への坂道は人通りもなく、登って行く高下駄の音、犬の遠吠え……そんな夜更けの町の寂しさに、ふと郷愁を感
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