のであろうか。順平さえ娘の腹に宿らなんだら、まからんやが雨さえ降らせなんだらと思い、一途に年のせいではなかった。云うまじきことを云い聴かせるという残酷めいた喜びに打負けるのが度重って、次第に効果はあった。継子だとはどんな味か知らぬが、順平は七つの頃から何となく情けない気持が身にしみた。お婆の素振りが変になり、みるみるしなびて、死んで、順平は父の所に戻された。
 ひがんでいるという言葉がやがて順平の身辺をとりまいた。一つ違いの義弟《おとうと》と二つ違いの義姉《あね》がいて、その義姉が器量よしだと子供心にも判った。義姉は母の躾がよかったのか、村の小学校で、文吉や順平の成績が芳しくないのは可哀相だと面と向って云うのだ。兄の文吉はもう十一であるから何とか云いかえしてくれるべきだのに、いつもげらげら笑っていた。眼尻というより眼全体が斜めに下っていて、笑えば愛敬よく、また泣き笑いにも見られた。背が順平よりも低く、顔色も悪かった。頼りない男であったが、順平には頼るべきたった一人の兄だったから、学校がひけると、文吉の後に随いて金造の家へ行くことにした。
 金造は蜜柑山をもち、慾張りと云われた。男の子が
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