」で五円、十円とみるみる金の消えて行くことに身を切られるような想いをしながら、それでも、高峰さん高峰さんと姓をよばれるのが嬉しくて、女給たちのたかるままになっていた。
 ある夜、わざと澄まし雑煮を註文し、一口のんでみて、こんな下手な味つけで食べられるかいや、吸物というもんはナ、出し昆布の揚げ加減で味いうものが決まるんやぜと浅はかな智慧を振りまいていると、髪の毛の長い男がいきなり傍へ寄って来て、あんさんとは今日こんお初にござんす、野郎若輩ながら軒下三寸を借り受けましての仁儀失礼さんにござんすと場違いの仁儀でわざとらしいはったりを掛けて来た。順平が真蒼になってふるえていると女給が、いきなり、高峰さん煙草買いましょう。そう云って順平の雑魚場行きのでかい財布をとり出して、あけた。男は覗いてみて、にわかに打って変って、えらい大きな財布でんナと顔中皺だらけに笑い出し、まるで酔っぱらったようにぐにゃぐにゃした。男はオイチョカブの北田といい、千日前界隈で顔の売れたでん公であった。
 その夜オイチョカブの北田にそそのかされて、新世界のある家の二階で四五人のでん公と博打をした。インケツ、ニゾ、サンタ、シスン、ゴケ、ロッポー、ナキネ、オイチョ、カブ、ニゲなどと読み方も教わり、気の無い張り方をすると、「質屋《ヒチヤ》の外に荷《ニ》が降り」とカブが出来、金になった。生まれてはじめてほのぼのとした勝利感を覚え、何かしら自信に胸の血が温った。が、続けて張っている内に結局はあり金を全部とられて了い、むろんインチキだった。けれど、そうと知っても北田を恨む気は起らなかった。あくる日、北田は※[#「※」は「囗」の二画目の中に「又」を入れる、114上−6]《かねまた》でシチューと半しまを食わせてくれた。おおけに御馳走《ごっそ》さんと頭を下げる順平を北田はさすがに哀れに思ったが、どや、一丁女を世話したろか、といった。「リリアン」の小鈴に肩入れしてけっかんのやろと図星を指されてぽうっと赧くなり一途に北田が頼もしかったが、肩入れはしてるんやけどナ、わいは女にもてへんのさかい、兄貴、お前わいの代りに小鈴をものにしてくれよ。そういう態度はいつか木下にいった時と同じだったが、北田は既に小鈴をものにしているだけにかえって気味が悪かった。
 オイチョカブの北田は金が無くなると本職にかえった。夜更けの盛り場を選んで彼の売る絵は、こっそりひらいてみると下手な西洋の美人写真だったり、義士の討入りだったりする。絶対にインチキと違うよ、一見胸がときめいてなどと中腰になって、何かをわざと怖れるようなそわそわした態度で早口に喋り立て、仁が寄って来ると、先ず金を出すのがサクラの順平だ。絵心のある北田は画をひきうつして売ることもある。そんな時はその筋の眼は一層きびしい。サクラの順平もしばしば危い橋を渡る想いにひやっとしたが、それだけにまるで凶器の世界にはいった様な気持で歩き振りも違って来た。
 気の変りやすい北田は売屋《ばいや》をやることもあった。天満京阪裏の古着屋で一円二十銭出して大阪××新聞の法被を仕込み、売るものはサンデー毎日や週刊朝日の月おくれ、または大阪パックの表紙の発行日を紙ペーパーでこすり消したもの、三冊十五銭で如何にも安いと郊外の住宅を戸別訪問して泣きたん[#「泣きたん」に傍点]で売り歩く。かと思うと、キング、講談倶楽部、富士、主婦の友、講談雑誌の月遅れ新本五冊とりまぜて五十銭《オテカン》、これは主に戎橋通りの昼夜銀行の前で夜更けの女給の帰りを当てこむのだ。仕入先は難波の元屋で、ここで屑値で買い集めた古本をはがして、連絡もなく、乱雑に重ねて厚みをつけ、もっともらしい表紙をつけ、縁を切り揃えて、月遅れの新本が出来上る。中身は飛び飛びの頁で読まれたものでないから、その場で読めぬようあらかじめセロファンで包んで置くと、如何にも新本だ。順平はサクラになったり、時には真打になったり、夜更けの商売で、顔色も凄く蒼白んだ。儲の何割かをきちんきちんと呉れるオイチョカブの北田を、順平は几帳面な男と思い、ふと女めいたなつかしさも覚えていた。
 ある日、北田は博打の元手もなし売屋も飽いたとて、高峰、どこぞ無心の当てはないやろか。といったその言葉の裏は、丸亀へ無心に行けだとは順平にも判ったが、そればっかりはと拝んでいる内に、ふと義姉《あね》の浜子のことを頭に泛べた。大阪病院で看護婦をしていると、死んだ文吉が云っていた。訪ねて行くと、背丈ものびて綺麗な一人前の女になっている浜子は、順平と知って瞬間あらとなつかしい声をあげたが、どうみてもまっとうな暮しをしているとは見えぬ順平の恰好を素早く見とってしまうと、にわかに何気ない顔をつくろいどこぞお悪いんですの、患者にもの云うように寄って来て、そして目|交《まぜ》で病
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