。だらんと着物をひろげて、首を突き出し、じじむさい恰好で板の上に坐っている日が何日も続くともう泣く元気もなかった。寒かろうと、北田が毛布を差入れしてくれた。
 二日たった昼頃、紋附を着た立派な服装の人が打っ倒れるように留置場へはいって来た。口髭を生やし、黙々として考えに耽っている姿が如何にも威厳のある感じだったから、こんな偉い人でも留置されるのかと些か心が慰まった。ふと、この人は選挙違反だろうと思った。鄭重に挨拶をして毛布を差出し、使って下さいというと、じろりと横目でにらみ、黙って受けとった。あとで調べの為に呼び出された時、係の刑事に訊くと、あれは山菓子盗りだといった。葬式があれば故人の知人を装うて葬儀場や告別式場に行き、良い加減な名刺一枚で、会葬御礼のパンや商品切手を貰う常習犯で、被害は数千円に達しているということだった。なんや阿呆らしいと思ったが、しかし毛布を取り戻す勇気は出なかった。中毒で人一人殺したのだから、最悪の場合は死刑だとふと思いこむと、順平はもう一心不乱に南無阿弥陀仏、と呟いていた。そんな順平を山菓子盗りは哀れにも笑止千万にも思い、河豚料理で人を殺した位で死刑になってたまるものか、悪く行って過失致死罪……という前例も余り聴かぬから、結局はお前の主人が営業停止をくらう位が関の山だろうと慰めてくれ、今はこの人が何よりの頼りだった。
 都亭の主人はしかし営業停止にならなかった。そんな前例を作れば、ことは都亭一軒のみならず、温泉場の料理屋全体が汚名を蒙ることになり、ひいてはここで河豚を食うなと喧伝され、市の繁栄に影響するところが多いと都亭の主人は唱えて、料理店組合を動かした。そして、問題は都亭の主人の責任といえば無論いえるが、しかし真のそして直接の原因はルンペン崩れの追い廻しの順平にあることは余りにも明白だ。そんな怪しい渡り者に河豚を料理させたというのも、河豚料理が出来るという嘘を真に受けただけであって、真に受けたのは不注意というよりも寧ろ詐欺にかかったというべきだと彼は必死になって策動した。オイチョカブの北田は何をっと一時は腹の虫があばれたが、しかし彼も今は土地での気受けもよく、それに小鈴のお産も遠いことではなかった。泣きたんの手で順平の無罪を頼み歩いたが、尻はまくらなかった。
 間もなく順平は送局され、一年三ヵ月の判決を下された。過失致死罪であった。一年
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