注意がなければ僕は通俗小説を書いてしまったかも知れない。覚悟をきめてからは、毎晩徹夜でこの小説に掛りきりで、ヒロポンを注射する度数が今までの倍にふえた。何をそんなに苦労するかというと、僕は今まで簡潔に書く工夫ばかししていたので一回三枚という分量には困らぬはずだったのに、どうしても一回四枚ほしい。十行を一行に縮める今までの工夫が、こんどは一行を十行に書く努力に変って来たのだ。僕は今までの十行を一行に書くという工夫からうまれたスタイルの前に、書かねばならぬことも捨てて来た。これからは、今まで捨てたものを拾って行こうと思うのだ。しかも、一回三枚だ。三枚にきっちり入れるために、何度も書き直す。実に大変な苦労だ。この苦労が新聞が終るまで、いや、小説を書いている限り、毎晩つづくのだと思うと、悲壮な気持にさえなるが、しかし、これほど苦労しても、結局どれほどの作品が出来るのかと考える方が、はるかに悲しい。作家はみな苦労し、努力し、工夫し、真剣に書いているのだが、ふと東西古今の大傑作のことを考えると、苦労も努力も工夫もみな空しいもののような気がしてならない。しかし、それでも書きつづけて行けば、いつかは神
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