くのにも制服制帽を着用しているのを滑稽だと思ったので、制服制帽は質に入れて、和服無帽で長髪を風に靡かせながら通学した。つまり私は十分風変りであったが、それ以上に利巧でなかったわけである。
このような私を人は何と思っていたろうか。ある者は私をデカダンだと言い、ある者は大本教を信じているらしいと言った。しかし私は何ものをも信じていなかった。ただ一つ私は東京帝国大学の文科というものを信じていた。そこでの講義は高遠であり、私のような学識のない者は到底その講義を理解することが出来ぬだろうと真面目に信じていたのである。それ故私は卒業の日が近づいて来ると、にわかに不安になり、大学へはいるのはもう一年延ばした方がいいのではなかろうか、もう一年現級に止まってみっちり勉強してからにした方が賢明ではなかろうかと思ったので、ある日教師を訪問して意見をきくと、教師の答は意外だった。君のその希望は君の意志をまつまでもなくかなえられるだろう。何故なら学校では君の卒業は許さぬことに決定している。理由は三つある。一つ欠席日数超過、二つ教師の反感を買っていること、三つ心身共に堕落していること、例えば髪の毛が長すぎる云々。
私は希望通り現級に止まったが、私より一足さきに卒業した友人がノートを残して行ってくれたので、私は毎年同じ講義のノートをもう一つ作るために教室へ出掛けることは時間の空費だと思った。この考えは極めて合理的な考えであったが、同時にこれ以上不合理な考えはなかった。
私の欠席日数はまたたく間に超過して、私は再び現級に止まることになった。私の髪も長かったが、高等学校生活も長かったわけである。私は後者の長さに飽き果てて、遂に学校に見切りをつけてしまった。事変がはじまる半年前のことであった。
三
学校をやめたので、私は間もなく徴兵検査を受けねばならなかった。
私は洋服を持たなかったので、和服のまま検査場へ行った。髪の毛は依然として長く垂れたままであったことは勿論である。丸刈りにしていった方がよかろうと忠告してくれる人もあったが、私は少々叱られても丸刈りにはなりたくなかったのである。ところが検査場では誰も私の頭髪を咎める者はなかった。ただ身長を計る時、髪の毛が邪魔になるので検査官が顔をしかめただけであった。
身体検査が済んで最後に徴兵官の前へ行くと、徴兵官は私が学校をやめた理由をきいた。病気したからだと私は答えたが、満更嘘を言ったわけではない。私は学校にいた時呼吸器を悪くして三月許り休学していたことがある。徴兵官は私の返答をきくとそりゃ惜しいことをしたなと言い、そしてジロリと私の頭髪を見て、この頃そういう髪の型が流行しているらしいが、流行を追うのは知識人らしくないと言った。私はいやこんな頭など少しも流行していませんよ、むしろ流行おくれだと思いますと答えた。徴兵官はそれきり黙ってしまったが、やがて下を向いたまま、丙種と呟いた。はッ、帰っても構いませんか。帰ってよろしい。検査場を出ると、私は半日振りの煙草を吸いながら、案外物分りのいい徴兵官だなと思った。
その後私は何人かの軍人に会うたが、この徴兵官のような物分りのいい軍人には一人も出会わなかった。むしろ私の会うた軍人は一人の例外もないと言っていいくらい物分りが悪く、時としてその物分りの悪さは私を憤死せしめる程であった。
もっともこれは時代のせいかも知れなかった。私が徴兵検査を受けた時は、まだ事変が起っていなかったのである。
学校をよしていつまでもぶらぶらしているのもいかがなものだったから、私は就職しようと思った。しかし、私の髪の毛を見ては、誰も雇おうとはしなかった。世をあげて失業時代だったせいもあったろう。もっとも保険の勧誘員にならいくらか成り易かった。しかし私はそれすら成れなかった。私のような髪の毛の者が勧誘に行っても、誰も会おうとしないだろうと思ったのか、保険会社すら私を敬遠した。が、私は丸刈りになってまで就職しようとは思わなかった。
このような状態が続けば、私はいたずらに長い髪の毛を抱いて餓死するところであった。が、天は私の長髪をあわれんだのか、やがて私を作家の仲間に入れてくれた。私の原稿は売れる時もあり売れぬ時もあったが、しかしそれは私の長髪とは関係がなかった。私の髪の毛が長いという理由で、私の原稿を毛嫌いするような編輯者は一人もいなかった。むしろ編輯者の中には私より髪の毛を長くしている頼もしい仁もあった。今や誰に遠慮もなく髪の毛を伸ばせる時が来たわけだと、私はこの自由を天に感謝した。
ところが、間もなく変なことになった。既に事変下で、新体制運動が行われていたある日の新聞を見ると、政府は国民の頭髪の型を新体制型と称する何種類かの型に限定しようとしているらしく、全国の理髪
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