らして下さい)か。ばかにしてやがる。いや、手紙よりも、木崎さん、一寸これ見て下さい」
 細君が出しなにたたき割って行った買いだめの注射薬のアンプルのかけらを、坂野は見せ、土色の顔を一層土色にして、ふぬけていたが、やがてエヘッと笑うと、
「印籠みたいなもンでさあ」
 と、ポケットからヒロポンの箱を出して来た。
「――これだけは肌身はなさず。エヘッ……。これがないと、アコーディオンも弾けませんや。何はともあれ……」
 まず一本……と、二CC、針のあとだらけの腕に打って、ペタペタたたいた。
「僕にも打って下さい」
 坂野を慰める最上の方法はこれだと、木崎は腕を出したが、一つにはヒロポンを打って、徹夜で陽子と茉莉の写真を現像しようと思ったのだ。
「チマ子に触れないためにも……」
 現像をすることだ――と、つぶやいて、やがて木崎は部屋へ戻ってみると、チマ子はいつの間にかいなくなっていた。
 そして、暗室へはいると、そこへ置いた筈のライカが見当らず、暗がりの中でただ夜光時計の青い針が十一時二十分をひっそりと指していた。


    貴族

      一

「十一時二十分ですわ。もう……」
 時間
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