どうして……」
 会いたかったんだい――と思わずきくと、
「好きやもん。あたい、兄ちゃん好きえ」
 靴磨きの少女は、磨きもせず、熱っぽい眼でじっと京吉の顔を見つめながら、甘えるように言った。
 京吉はキョトンとした表情になった。
 時に三十男に見える京吉の苦味走った顔は、キョトンとすると、急に十二三の少年――いや少女のように可憐で無邪気な表情になる。びっくりした時の癖だった。
 いや、びっくりしたというより、むしろ不思議でたまらぬという気持だった。動く玩具を見た時の赤ん坊の驚きにも似ていた。鏡の前へ連れて行かれた犬のように、何か虚ろだが、新鮮な驚きだった。
「一体これは何の意味だろう。なぜこうなるんだろう」
 と、自分の心に、――というより自然に向って問いながら、首をかしげている謙虚な裸の状態だった。よれよれの五十銭札みたいに使い古された陳腐な言葉の助けを借りて、何もかも既知の事実にしてしまうという観念の衣裳をまとわぬナイーヴな子供の感受性を、京吉は馴々しく図太い神経の中に持っているのだ。
 例えば、祖母が死んだ時がそうだった。昨夜茉莉が倒れた時も、キョトンとしていた。
 そして今も……、十二の娘にあるまじい熱っぽい眼が、何か不可解で仕方がなかったのだ。しかも、それがなぜか得体の知れぬ不思議な魅力であった。
「兄ちゃん、右の足とかえて!」
 キョトンとしていた京吉は、娘に言われて、あわてて右足を出した。いつも左の足から磨かせているのは、ダンスの習慣で左足を先に出しているからであろう。
「ああ、もうそれでいい」
 いつもより念入りに磨いている娘の、鼻の上の汗を見ると、可哀相になって、金を払おうとすると、
「お金いらないわ。お兄ちゃんはただにしとく」
 ハアハア息を弾ませながら、娘は言った。
「ホールじゃあるめえし、――いや、ホールでももうただで踊るのは、おれこりたよ」
 払うよと、あちこちポケットを探ったが、財布の手ごたえがない。
「なんだ、掏られてやがらア」
 苦笑したが、べつに悲しそうな顔も見せず、
「――明日まとめて払うから、貸しといてくれ。済まん、済まん。じゃ、また……」
 歩き出して、三条通りを横切ろうとしたが、ジープが来たので、足を停めて待っていると、
「兄ちゃん!」
 娘が追いついて来て、腕にすがりついた。
「――あたいも一緒に行く!」
「…………」
 
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