多勢いるから判らないんでしょう。えーと、あの人じゃないの。えーと、陽子さん! あれからまた掛って来たのよ。もう京都にいないって言ったら、絶望的だったわよ。おほほ……」
「…………」
「あんた、まだ京都にいたのね」
「はい、恥かしながら、パイパンで苦労してます」
「パイパン……? 何よ、それ。――京都にいるなら、リベラル・クラブへ一緒に行ってよ。今晩五時、発会式よ」
「どうぞ、御自由に」
「あら。一人じゃ行けないわ。会員は同伴、アベックに限るのよ。素晴らしいじゃないの」
「そんな不自由なリベラル・クラブよしちゃえよ!」
電話を切ろうとすると、
「あ、ちょっと、ちょっと、用事まだ言ってないわよ」
「何だ……?」
「おほほ……」
「ハバア、ハバア!」
「せかさないでよ。今、代りますから。あたしはただお取次ぎよ」
おほほ……と、笑い声が消えると、誰かが代って電話口の前に立ったらしく、息使いが聴えた。
六
誰だろう――と、声を待っていると、
「兄ちゃん……?」
なつかしそうに、しかし、おずおずと受話器を伝わって来た声は、思いがけず、靴磨きの娘だった。
「――あたい、判る……?」
「うん」
「兄ちゃん、あたいなんぜ、こんなところから電話掛けてるか、判る……?」
何かいそいそと弾んだ声だった。
「えっ……?」
と考えたが、咄嗟には判らなかった。
「――おれ判るもんか。なぜ、セントルイスへ行ったんだい」
「判れへん……? ほんまに判れへんのン、兄ちゃん」
じれったそうだった。
「判るもんか。なぜだ。言ってみろ!」
「…………」
しかし、返辞はなかった。
「まかれてしまったのか」
と、京吉は何気なく声をひそめた。娘に、あの男――スリを尾行しろと、ただそれだけ言ったのである。尾行して、それからどうしろ――と、注意を与える暇はなかった。だから、財布は戻るとは当てにしていなかった。ただ、わざわざスリを見つけながら、ほって置くのも癪だ――そんな軽い気持で尾行させただけである。娘がスリにまかれてしまったところで、べつに悲観もしない。ところが、
「ううん」
まかれなかったわよ――という意味の声が、鬼の首を取った威張り方で聴えて来た。
「ほう……? 大したキャッキャッだね」
と、京吉は思わず微笑して、
「――どこまで、つけたんだ……?」
「ここで言えないわよ。
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