べながら、くりかえす言葉をききながら、陽子は春隆に会釈をかえした。
乗竹春隆は「乗竹」をもじった「首ったけ」侯爵という綽名をつけられていて、十番館の定連だった。
十番館には、戦争犯罪容疑者として収容される前夜、青酸加里で自殺した遠衛公爵の三男坊が憂さばらしか、それとも元来享楽的なのか、時どき踊りに来るほか、数名の華族のいわゆる若様が顔を見せて、ある際物雑誌にその行状記を素ッ破抜かれた。
春隆もその槍玉に挙げられた一人だが、もともと鈍感なのか、大して参りもせず、むろんその雑誌の買い占めに走りまわったりせず、そんな金があればと、せっせとチケットを買って、十番館へ通っていた。
一つには、そんなことぐらいで謹慎するには、この「首ったけ」侯爵は余りにも陽子に首ったけであった。
彼は十番館以外のホールへは行かず、また、十番館では、陽子以外のダンサーとは踊らず、陽子が他の男と踊っている時は、大人しく一つ椅子に腰を掛けて、いつまでも同じ姿勢のまま、陽子の体があくまで待っているのだった。
今夜も茉莉が倒れたどさくさのあとへ来てみると、陽子の姿が見当らぬので、眼だけキョロキョロ動かせていたところだったらしい。
そして、やっと見つかって、いそいそと会釈したのだが、陽子が京吉と話をしているので、椅子を立つまでは、もう一本葉巻を吸わなくてはなるまい――という彼らしいエティケットで諦めた。
しかし、京吉にはそんなエティケットの持ち合わせは、耳かきですくう程もなかった。
「ねえ。泊めてくれよ」
「…………」
「今夜……。いけない……?」
「呆れたッ!」
と、言葉だけでなく、本当に陽子は呆れて、
「――どうしてあんたを泊めなくっちゃならないの……?」
「だって、土曜の晩という奴は、たいていの女は差し障りがあるんだよ。ママみたいに……。茉莉と陽子ぐらいだよ。土曜でも清潔なのは……」
「だって、あんた茉莉に借り切られてるんでしょう」
「だから、茉莉に万一のことがあった時の話さ。死んじゃったりしたら、おれ今夜泊る所が……。おれ、茉莉が死んじゃうような気が……」
「する……? あんたもそんな気がするの……?」
陽子は急に心配になって来て、
「――あ、そうだ。こんな話してないで、あんた事務所へ行って来てよ。お医者が来てるかどうか。ハバハバ行って見て来てよ」
そして、ホールを出て行った京
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