握手した。木崎はふと顔をそむけて、自分だけがひとり女の弁護にまわりたい気になっている矛盾を、煙草のけむりと一緒に吐きだしていた。しかし、坂野が、
「ねえ、木崎さん、あたしゃ、絶対許しませんよ。許してやれなんて、身上相談の解答こそ、まさに許しがたいと思いませんかね」
と、言うと、はや木崎はいつもの木崎であった。
「いや、こんな解答が平気で出来るという点が、身上相談担当の重要な資格になるんだよ。いちいち、質問者の心理の底にまではいっておれば、結局解答者は失格さ。警察へ届けて姦夫を処罰して貰え、女房は許してやれ。――こんなお座なりの解決で気が済むなら、誰も身上相談欄へ手紙を出すもんかね。財布を落しても、今時、警察へ届けろなんて、月並みなことを言う奴はいないよ。姦夫を処罰して貰ったって、悩みは残るさ。前非を悔いているから、許してやれ――か。ふん。学問が出来て、社会的地位があっても人間のことは、何にも判ってないんだ。ねえ、君、そうだろう」
木崎は京吉の方を向いた。
「おれ、そんなことどうだっていいや」
京吉は舌の先についた煙草の滓をペッと吐き捨てて、
「それより、坂野さん、おれにヒロポン打ってくれ。それで来たんだよ」
と、腕を差し出した。
四
「ヒロポン……? よし来た。ここン所坂野医院大繁昌だね」
坂野はにやりと木崎の顔を見ながら、ケースの中からヒロポンのアンプルを取り出し、アンプル・カッターを当てて廻すと、まるで千切り取るように二つに割った。ポンと小気味のよいその音は逃げて行った細君へ投げつける虚ろな挑戦の響きの高さに冴えていた。
興奮剤のヒロポンは、劇薬であり、心臓や神経に悪影響があるので、注射するたびに寿命を縮めているようなものであった。しかし、不健全なものへ、悪いと知りつつ、かえって惹きつけられて行くのがマニヤの自虐性であり、当然アンプルを割る音は頽廃の響きに濁る筈だのに、ふと真空の虚ろに澄んでいるのは、頽廃の倫理のようでもあった。
だから、坂野はうっとりとその余韻をたのしみながら、
「――京ちゃんもいよいよわが党と来たかね。毎日でも打ってやるよ」
「いや、今日だけでいいよ。注射、痛いだろう……? おれ趣味じゃねえや。痛くないやつやってくれよ。ねえ、たのむよ。ねえ、痛いんだろう。しかし、痛くってもいいや。今日は特別だから。麻雀に勝てれば
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