れたのだ、と口のなかでもぐもぐ弁解した。一時間待ちましたわ、と本を読むような調子で言うと、はあ、一時間も待ちましたか。文楽は今日はございませんのよ、と言うと、はあ、文楽は今日はありませんか。人の口真似ばかしするのだ。御堂筋を並んで歩きながら、風がありますから今日はいくらか寒いですわねと言うと、はあ、寒いですな、風があるからと口のなかでもぐもぐ……、それでなくてさえ十分腹を立てていた私は、川の中へ飛び込んでやろうかと思った。そんな私の気持があの人に通じたかどうか、文楽のかわりにと連れて行って下すったのが、ほかに行くところもあろうに法善寺の寄席の花月だった。何も寄席だからわるいというわけではないが、矢張り婚約の若い男女が二人ではじめて行くとすれば、音楽会だとかお芝居だとかシネマだとか適当な場所が考えられそうなもの、それを落語や手品や漫才では、しんみりの仕様もないではないか、とそんなことを考えていると、ちっとも笑えなかった。寄席を出るともう大ぶ更かったから、家まで送ってもらったが、駅から家まで八丁の、暗いさびしい道を肩を並べて歩きながら、私は強情にひとことも口を利かなかった。じつは恥かしいこ
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