は、それにねえ、よく世間で言うじゃないか。女房の尻に敷かれる人はかえって出世するものだって……。ああ、いやらしい言葉だと私は眉をひそめたが、あとでその母の言葉をつくづく考えて、なぜだかはっとした。
 二月の吉日、式を挙げて、直ぐ軽部清正、同政子(旧姓都出)と二人の名を並べた結婚通知状を三百通、知人という知人へ一人残らず送った。勿論私の入智慧、というほどのたいしたことではないけれど、しかしそんな些細なことすら放って置けばあの人は気がつかず、紙質、活字の指定、見本刷りの校正まで私が眼を通した。それから間もなく私は、さきに書いたような、金銭に関するあの人の悪い癖を聞いたので、直ぐあの人に以後絶対に他人には金を貸しませんと誓わせ、なお、毎日二回ずつあの人の財布のなかに入れてやるほかは、余分な金を持たせず、月給日には私が社の会計へ行って貰った。毎日財布を調べて支出の内容をきびしくきくのは勿論である。そんな風に厳重にしたので、まず大丈夫だと思っていたところ、ある日、あの人の留守中見知らぬ人が訪ねて来て、いきなり僕八木沢ですと言い、あと何にも言わずもじもじしているので、薄気味悪くなり、何か御用事ですかときくと、その人はちょっと妙な顔をして、奥さん、何にも軽部君からお聞きじゃないのですかと言う。思わずどきんとして、いいえと答えると、その人は、実は軽部君からお金を借りることになっているのですが、軽部君のおっしゃるのには女房にその旨話して置くから家へ来て女房から貰ってくれということでしたので、約束どおり参ったようなわけなんですと言い、それじゃほんとうに奥さんは何にも御存知なかったんですな、軽部君は何にも話しておいてくれなかったんですなと、驚いた顔にいくらかむっとした色を浮べた。なるほどあの人のやりそうなことだ、と私はその人の言うことを全部信用したが、といって聞いてもいないのに見知らぬ人に貸せるわけもなく、さまざまいいわけして帰って貰い、気まりがわるいというより、ほんとうに気の毒だった。夜、あの人が帰って来るなり、はしたないことだが、いきなり胸倉を掴まえてそのことをきくと、案の定、言いそびれててん、とぼそんとした。私は自分でも恥かしいくらい大きな声になり、あなたはそれで平気なんですか、八木沢さんが今日来られることはわかってたんでしょう、八木沢さんになんと弁解するおつもりですとわめき立てた
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