っぱのなかを駈けだす。急に立ち停る。ひどい息切れが来たのだ。胸の臓器を押しつぶしてしまいそうな呼吸困難である。駅の前が真っ白になる。赤い咳が来る。佐伯は青ざめた顔であわただしく咳の音を聴きながらじっと佇んでいる。寂しい一刻だ。暫らくするとまた歩き出す。恢復した視力でやっとアパートの灯が見える。裏口の裸電燈だ。その灯の下に誰かが佇んでいそうに思われる。いきなりその灯がすっと遠ざかって行く。かと思うと、また引き戻して来る。だんだん近づいて来る。四尺にも足りないちいさな老婆がその灯を持ってとぼとぼやって来るようだ。カラコロと下駄の音が聴える。出会いがしらにふっと顔を覗かれる、あっ、老婆の顔は白い粉を吹いたように真っ白で、眼も鼻も口もない……。
すべてはその道に原因していたんだと、その頃のことを佐伯は最近私に語った。おかげで毎夜身体はへとへとになり、やっとアパートの自分の部屋に戻って何ひとつ手につかず、そうかといって妙な不安に神経が昂ぶっているのでろくろく睡ることもできなかったという。彼はその頃せめてもに無為な生活から脱けだそうとして、いつかは上演されるだろうことを夢みながら、ひそかに戯曲を
前へ
次へ
全18ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング