の噂をしているということが嬉しいのである。全く忘れられてしまうのが辛いのだ。その頃彼はこんな夢を見たといって私に語った。――病気もいよいよいけなくなり死んでしまった。どこかの家の二階の階段を上った狭くるしい場所で長くなって死んでいた。だらんと伸びた足が黒足袋をはいて階段に掛っている。お通夜に集って来た友人が変なところで伸びやがって、登り降りの邪魔だよ、だからノッポは困るんだなどと言っている。がやがやと騒がしいお通夜になって来た。ボートのバック台の練習をしながらワレハ海ノ子と歌いだす者がある。議論がはじまる。ラスコリニコフが階段の途中でペンキ屋にどうかされたとかなんとかシロサキが言っている。よせやい、お通夜じゃないか、静にしろとアオヤマが言うとオダが、いやこいつは派手なお通夜の方が喜ぶぜと言って、おいサエキそうだろうと声を掛ける。すると自分はそうだそうだ、おれは派手な方がいいんだ、陽気にやってくれと言って、ここで死んでちゃ邪魔なんだろうとむっくり起き上って一緒に騒ぎだし、到頭自分のためのお通夜の仲間にはいってしまったという夢である。それほど寂しがり屋なのだ。
 しかし街は佐伯の孤独をすこしも慰めてくれなかった。彼が街を歩くと、街は灰色になった。佐伯が掛けると、誰もその卓子を敬遠した。陰欝な眼をぎょろつかせ、落ち込んだ鈍い光を投げながら、あたり構わずいやな咳をまき散らすからだ。時には手帛を赤く染め、またはげしい息切れが来て真青な顔で暗い街角にしゃがんだまま身動きもしない。なにか動物的な感覚になって汚いゴミ箱によりかかったりしている。当然街は彼を歓迎せず、豚も彼を見ては嘔吐を催したであろう。佐伯自身も街にいる自分がいやになる。そのくせ彼は舗道の両側の店の戸が閉まり、ゴミ箱が出され、バタ屋が懐中電燈を持って歩きまわる時刻までずるずると街にいて彷徨をつづけ、そしてぐったりと疲れて乗り込むのは、印で押したようにいつも終電車である。
 佐伯が帰って来る頃には、改札口のほの暗い電燈をぽつんと一つ残して、あたりはすっかり明りを消してしまっている。駅員室のせまい暗がりのなかでふと黒く蠢いたのは、たぶん宿直の駅員が終電車の著《つ》いた音で眼をさましたのであろう。しかし起きて来る気配もない。すくない乗客はたいてい一つ手前の駅で降りてしまうので、その寂しい小駅に降り立つ人影は跫音もせぬくらい
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