今のところ、せっせと書けば、食うに困るというほどでもないが、没落した家を再興し、産を成すようなタイプとは、私は正反対の人間だ。今は食うに困らなくても、やがて私もまた父と同じように身を亡ぼしてしまうかも知れない。そして、それは酒のためではないことだけは父と同じだ。
 しかし、私が身を亡ぼせばその原因は煙草かも知れない。
 世間には酒と女と博奕で身を亡ぼす人は多い。私は競馬は好きだが、人が思うほど熱中しているわけではないから、それで身を亡ぼすことはあるまい。女――身を亡ぼしそうになったこともあり、げんに女のことで苦しめられているから、今後も保証できないが、しかしもう女のことではこりている。酒は大丈夫だ。泥酔した経験はないし、酔いたいと思ったこともない。酔うほどには飲めないのだ。
 してみれば、私が身を亡ぼすのは、酒や女や博奕ではなく、やはり煙草かも知れない。
 父は酒を飲んだが、煙草を吸わなかった。私は酒は飲まないが、煙草を吸う。父が飲んでいた酒は、一番たかい時で、一升二円だったが、私が今吸っている煙草は一本二円、ときに二円五十銭もする。
 もっとも、私が煙草を吸いはじめた頃は安かった。私は京都の高等学校へはいってから吸った。中学校時代は吸わなかった。真面目だったから吸わなかったのではない。私は模範生徒ではなかった。ことごとに学校と教師に反抗していたので、私の操行点は丁であった。自然、不良性を帯びた生徒たちのグループに近づいたが、彼等は一人残らず煙草を吸うことで、虚栄を張っていた。私はこのこそこそした虚栄をけちくさいと思った。だから、おれだけはお前らと違うぞというつもりで、卒業するまで煙草は吸わなかった。いいかえれば、私の仲間は猫も杓子も煙草を吸っていたので、私はただ猫でも杓子でもないことを示したかっただけだ。因みに、私が当時ひそかに胸を焦がしていた少女に、彼等煙草生徒も眼をつけていたのだ。
 高等学校へはいっても、暫らくは吸わなかったが、一年生の終り頃、私はある女の口の煙草のにおいに魅力を感じた。私はその女と会わないでいる時はせめて煙草のにおいをなつかしもうと思った。バットやチェリーやエアシップは月並みだと思ったが、しかし、ゲルベゾルテやキャメルやコスモスは高すぎた。私はキングという煙草を買って練習した。一箱十銭だった。
 口に煙草のにおいのある女とは、間もなく別れた
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