しかし少数の泣かない文学も目下のところ泣く文学には勝てない。泣かない世代、泣けない私たちはもしかしたら、泣く時代、泣ける彼等より不幸なのかも知れない。
してみれば、よしんば二十歳そこそこだったとはいえ、女との別れ話に泣きだした時の私は案外幸福だったのかも知れない。取り乱すほど悲しめたのは、今にして想えば、なつかしい想い出である。もっとも、取り乱したのは、一種のジェスチヤだったのかも知れない。おれは別れることにこんなに悲しんでいるのだという姿を、女にも自分にも見せて、自虐的な涙の快感に浸っていたのだろう。泣いている者が一番悲しんでいるわけではないのだ。
しかし泣けない私たちが憧れるのは、とにもかくにも泣けた青春時代であろう。私の一生には私を泣かせるような素晴らしい女はもはや現われないだろうが、しかしよしんばつまらない女とでも泣けた時代が羨ましいのである。ひとの羨むような美女でも、もし彼女がウェーブかセットを掛けた直後、なまなましい色気が端正な髪や生え際から漂っている時は、私はよしんば少しくらい惚れていても、顔を見るのもいやな気がする。私は今では十五分も女が待てない。女とそれきり会えないと判っても、悲しい顔もせず、その女が小説に書けるかどうか一寸考えるだけである。書けそうでも書いたためしはない。書くほどの熱も起らないし、まして最後の一夜を共にしようという気も起らない。そんな宿屋を探すくらいなら、闇市の煙草を探したいのだ。再び会えない女とよりも、百本の煙草と共に夜を過したいのである。別れぎわの女は暗がりを歩きたがる。そして急に立ち停る。女が何を要求しているか私には判るのだが、しかし私は肩にすら触れない。
思えば、最初に女と別れた時の取り乱し方と、何という違いだろう。しかし取り乱しても、さすがに私は煙草だけは吸うことを忘れなかったのだ。どんな悲哀も倦怠も私から煙草を奪い上げることは出来なかったのだ。いや、どんなに救われない状態でも、煙草だけが私を慰めたのだ。
一日四十本以上吸うのは、絶対のニコチン中毒だということだが、私の喫煙量は高等学校時代に、既にその限界を超えてしまったのだ。
私は一本のマッチがあれば、つねに五本の煙草を吸うことが出来た。もう、こうなれば眼がさめた時がうまいとか、食事のあとがどうとかいうようなことを考えている余裕はない。
私はかつて薬の効能
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