声をうなり出し、文五郎が想いをこめた抱き方で人形を携えて舞台にあらわれると、ああここに大阪があると私は思うのである。そうしてこれがいちばん大阪的であると私が思うのは、これらの文楽の芸人たちがその血の出るような修業振りによっても、また文楽以外に何の関心も興味も持たずに阿呆と思えるほど一途の道をこつこつ歩いて行くその生活態度によっても、大阪に指折り数えるほどしか見当らぬ風変りな人達であるために外ならず、且つ彼等の阿呆振りがやがて神に近づくありがたい道だと何かしら教えられるためである。
二
大阪を知らない人から、最も大阪的なところを案内してくれといわれると、僕は法善寺へ連れて行く。
寺ときいて二の足を踏むと、浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである。
法善寺の性格を一口に説明するのはむずかしい。つまりは、ややこしいお寺なのである。そしてまた「ややこしい」という大阪言葉を説明するのも、非常にややこしい。だから法善寺の性格ほど説明の困難なものはない。
例えば法善寺は千日前にあるのだが、入口が五つある。千日前(正確に言えば、千日前から道頓堀筋へ行く道)からの入口が二つある。道頓堀からの入口が一つある。難波新地からの入口が二つある。どの入口からはいって、どこへ抜け出ようと勝手である。はいる目的によって、また地理的な便利、不便利によって、どうもぐりこもうと、勝手である。誰も文句はいわない。
しかし、少くとも寺と名のつく以上、れっきとした表門はある。千日前から道頓堀筋へ抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間に、その表門がある。
表門の石の敷居をまたいで一歩はいると、なにか地面がずり落ちたような気がする。敷居のせいかも知れない。あるいは、われわれが法善寺の魔法のマントに吸いこまれたその瞬間の、錯覚であるかも知れない。夜ならば、千日前界隈の明るさからいきなり変ったそこの暗さのせいかも知れない。ともあれ、ややこしい錯覚である。
境内の奥へ進むと、一層ややこしい。ここはまるで神仏のデパートである。信仰の流行地帯である。迷信の温床である。たとえば観世音がある。歓喜天がある。弁財天がある。稲荷大明神がある。弘法大師もあれば、不動明王もある。なんでも来いである。ここへ来れば、たいていの信心事はこと足りる。ないのはキリスト教と天理教だけである。どこにどれがあるのか、何を拝んだら、何に効くのか、われわれにはわからない。
しかし、彼女たちは知っている。彼女たち――すなわち、此の界隈で働く女たち、丸髷の仲居、パアマネント・ウエーヴをした職業婦人、もっさりした洋髪の娼妓、こっぽりをはいた半玉、そして銀杏返しや島田の芸者たち……高下駄をはいてコートを着て、何ごとかぶつぶつ願を掛けている――雨の日も欠かさないのだ。
彼女たちはただ願掛けの文句を拝むだけでは、満足出来ない。信心には形式がいる。そこで、たとえば不動明王の前には井戸がある。この井戸の水を「洗心水」という。けがれた心を洗いまひょと、彼女たちは不動明王の尊像に水をかける。何十年来一日も欠かさず水をそそがれた不動明王の体からは蒼い苔がふき出している。むろん乾いたためしはない。燈火の火が消えぬように。
水をかけ終ると、やがて彼女たちはおみくじをひく。あっ? 凶だ。
しかし、心配はいらぬ。石づくりの狐が一匹居る。口に隙間がある。凶のおみくじをひいたときは、その隙間へおみくじを縛りつけて置く。すると、まんまと凶を転じて吉とすることが出来る。
「どうか吉にしたっとくなはれ」
祈る女の前に賽銭箱、頭の上に奉納提灯、そして線香のにおいが愚かな女の心を、女の顔を安らかにする。
そこで、ほっと一安心して、さて「めをとぜんざい」でも、食べまひょか。
大阪の人々の食意地の汚なさは、何ごとにも比しがたい。いまはともかく、以前は外出すれば、必ず何か食べてかえったものだ。だから、法善寺にも食物屋はある。いや、あるどころではない。法善寺全体が食物店である。俗に法善寺横丁とよばれる路地は、まさに食道である。三人も並んで歩けないほどの細い路地の両側は、殆んど軒並みに飲食店だ。
「めをとぜんざい」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに古びた阿多福人形が坐っている。恐らく徳川時代からそこに座っているのであろう。不気味に燻んでちょこんと窮屈そうに坐っている。そして、休む暇もなく愛嬌を振りまいている。その横に「めをとぜんざい」と書いた大きな提灯がぶら下っている。
はいって、ぜんざいを注文すると、薄っぺらな茶碗に盛って、二杯ずつ運ん
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