いて打っ放せば、ウアーンと唸り出すような力だ。
この力が千日前を、心斎橋を、道頓堀を、新世界を復興させたのだ。――と、しかし私はあわてているわけではない。なるほど、これらの盛り場は復興した。政府や官庁に任せて置けば、バラック一つ建ちようのない世の中で、自分たちだけの力でよくこれだけ建てたと思えるくらい、穴地を埋めてしまった。法善寺――食傷横丁といわれていた法善寺横丁の焼跡にも、二鶴やその他の昔なつかしい料理店が復活した。千日前の歌舞伎座の横丁――昔中村鴈治郎が芝居への通い路にしていたとかで鴈治郎横丁と呼ばれている路地も、以前より家数が多くなったくらいバラックが建って、食傷路地らしく軒並みに飲食店だ。などという話を見聴きすれば、やはりなつかしいが、しかし、
「大阪ですか。千日前も心斎橋も、道頓堀も、新世界も、あ、それから、法善寺横丁も、鴈治郎横丁も、みんな復興しましたよ。大阪は逞しいもんですよ」
と、さりげなく言って、嘯いておれるだろうか。
いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。
彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。
やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。
私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。
「まるで大阪みたいな奴だ」
所が、きけばその青年は一種の飢餓恐怖症に罹っていて、食べても食べても絶えず空腹感に襲われるので、無我夢中で食べているという事である。逞しいのは食慾ではなく、飢餓感だったのだ。
私は簡単にすかされてしまったが、大阪の逞しい復興の力と見えたのも、実はこの青年の飢餓恐怖症と似たようなものではないかと、ふと思った。
千日前や心斎橋や道頓堀や新世界や法善寺横丁や鴈治郎横丁が復興しても、いや、復興すればするほど、大阪のあわれな痩せ方が目立って仕様がないのである。
闇市場で煙草や主食を売っているというのも、いや売らねばならぬというのも、思えば大阪の逞しさというより、むしろ、大阪のあわれな悪あがきではなかろうか。
底本:「日本の名随筆75 商」作品社
1989(平成元)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 織田作之助全集 第八巻」文泉堂書店
1976(昭和51)年4月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年10月17日作成
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