ていた。
その常盤座の前まで、正月の千日前らしい雑閙に押されて来ると、またもや呼び停められた。
見れば、常盤座の向いのバラックから「千日堂」のお内儀さんがゲラゲラ笑いながら私を招いているのだった。
「やア、あんたとこも……」
帰って来たのかとはいって行くと、
「素通りする人がおますかいな。あんたはノッポやさかい、すぐ見つかる」
首だけ人ごみの中から飛び出ているからと、「千日堂」のお内儀さんは昔から笑い上戸だった。
「あはは……。ぜんざい屋になったね」
「一杯五円、甘おまっせ。食べて行っとくれやす」
「よっしゃ」
「どないだ、おいしおますか。よそと較べてどないだ? 一杯五円で値打おますか」
「ある。甘いよ」
しかし砂糖の味ではなかった。そのことをいうと、
「ズルチンつこてまんねン。五円で砂糖つこたら引き合えまへん。こんなちっちゃな餅でも一個八十銭つきまっさかいな。小豆も百二十円になりました」
京都の闇市場では一杯十円であった。
「あんたとこは昔から五割安だからね」
というと、お内儀さんはうれしそうに、
「千日堂の信用もおますさかいな、けったいなことも出来しめへん。――まアこの建物見とくなはれ。千日前で屋根瓦のあるバラックはうちだけだっせ。去年の八月から掛って、やっと暮の三十一日に出来ましてん。元日から店びらきしょ思て、そら天手古舞しましたぜ」
場所がいいのか、老舗であるのか、安いのか、繁昌していた。
「珈琲も出したらどうだね。ケーキつき五円。――入口の暖簾は変えたらどうだ、ありゃまるでオムツみたいだからね」
私は出資者のような口を利いて「千日堂」を出た。
「チョイチョイ来とくなはれ」
「うん。来るよ」
千日前へ来るのがたのしみになったよと、昔馴染に会うたうれしさに足も軽く私は帰った。
ところが、四五日たったある朝の新聞を見ると、ズルチンや紫蘇糖は劇薬がはいっているので、赤血球を破壊し、脳に悪影響がある、闇市場で売っている甘い物には注意せよという大阪府の衛生課の談話がのっていた。
私は「千日堂」はどうするだろうか、砂糖を使うだろうか、砂糖を使って引き合うだろうか、第一そんなに沢山砂糖が入手できるだろうかと心配した。「花屋」も元の喫茶店をやるそうだが、やはり、ズルチンを使うのだろうかと、ついでに「花屋」のことも気になった。
しかし翌日、再び千日前
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