り笑った。
「いくら返しても、受け取りなさらんので困りますわ」
「どもならんな。そら、あんたに気があんねやろ」
と、松本は笑って、かたわらの女の肩を敲きながら、あの男のやりそうなこっちゃと、顔じゅう皺だらけだったが、眼だけ笑えなかった。チップを置いて、威張って出て行ったわけでもあるまい。壜を集めに来るからには、いわば坂田にとってそこは得意先なのだ。壜を買ったついでに珈琲をのんで帰るのも一応は遠慮しなければならぬところである。それを今夜のように、大勢引具して客となって来るのには、随分気を使ったことであろうと、店を出て行きしな、坂田がお内儀にしたていねいな挨拶が思い出されるのだった。
松本は気が滅入ってしまった。女たちと連立ってお茶を飲みに来ている気が、少しも浮ついて来なかった。昼は屑屋、夜は易者で、どちらももとの掛からぬぼろい商売だと言ってみたところで、いずれは一銭二銭の細かい勘定の商売だ。おまけに瞳は病気だというではないか。いまさき投げ出して行った金も、大晦日の身を切るような金ではなかったかと、坂田の黒い後姿が眼に浮びあがって、なにか熱かった。
背中をまるめ、マントの襟を立てて、坂田は海岸通を黒く歩いていた。海にも雪が降り、海から風が吹きつけた。引きかえしてもう一度流川通に立つ元気もいまはなかった。やっぱり照枝と松本はなんぞあったんやと、永年想いまどうて来たいまわしい考えが、松本の顔を見たいま、疑う余地もなくはっきりしていた。しかし、なぜか腹を立てたり、泣いたり、わめいたりする精も張りもなく、不思議に遠い想いだった。ひしひしと身近かに来るのは、ただ今夜を越す才覚だった。
喫茶店で一円投げ出して、いま無一文だった。家に現金のある筈もない。階下のゆで玉子屋もきょうこの頃商売にならず、だから滞っている部屋代を矢のような催促だった。たまりかねて、暮の用意にとちびちび貯めていた金をそっくり、ほんの少しだがと、今朝渡したのである。毎年ゆで玉子屋の三人いる子供に五十銭宛くれてやるお年玉も、ことしは駄目かも知れない。いまは昔のような贅沢なところはなくなっているが、それでも照枝はそんなことをきちんとしたい気性である。毎日寝たきりで、思いつめていては、そんなことも一層気になるだろう。別府で死にたいと駄々をこねて来たものの、三年経ったいまは大阪で死にたいと、無理を言う。自分のよう
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