とお召の着流しで来て、白い絹の襟巻をしたまま踊って行ったきり、誰も来なかった。覗きもしなかった。女中部屋でもよいからと、頭を下げた客もあるほどおびただしく正月の入湯客が流れ込んで来たと耳にはいっているのに、こんな筈はないと、囁きあうのも浅ましい顔で、三人の踊子はがたがたふるえていた。
 ひと頃上海くずれもいて十五人の踊子が、だんだん減り、いまの三人は土地の者ばかりである。ことしの始め、マネージャが無理に説き伏せて踊子に仕込んだのだが、折角体が柔くなったところで、三人は転業を考えだしている。阪神の踊子が工場へはいったと、新聞に写真入りである。私たちは何にしようかと、今夜の相談は切実だが、しかしかえって力がない。いっそ易者に見てもらおうか。
 易者はふっと首を動かせた。視線の中へ、自動車がのろのろと徐行して来た。旅館では河豚を出さぬ習慣だから、客はわざわざ料亭まで足を運ぶ、その三町もない道を贅沢な自動車《くるま》だった。ピリケンの横丁へ折れて行った。
 間もなく、その料亭へよばれた女をのせて、人力車が三台横丁へはいった。女たちは塗りの台に花模様の向革《むこ》をつけた高下駄をはいて、島田の髪が凍てそうに見えた。蛇の目の傘が膝の横に立っていた。
 二時間経って、客とその傘で出て来た。同勢五人、うち四人は女だが、一人は裾が短く、たぶん大阪からの遠出で、客が連れて来たのであろう。客は河豚で温まり、てかてかした頬をして、丹前の上になにも羽織っていなかった。鼻が大きい。
 その顔を見るなり、易者はあくびが止った。みるみる皮膚が痛み、真蒼な痙攣が来た。客の方も気づいて、びっくりした顔だった。睨みつけたまま通りすぎようとしたらしいが、思い直したのか、寄って来て、
「久し振りやないか」
 硬ばった声だった。
「まあ、知ったはりまんのん?」
 同じ傘の中の女は土地の者だが、臨機応変の大阪弁も使う。すると、客は、
「そや、昔の友達や」
 ――と知られて女の手前はばかるようなそんな安サラリーマンではない。この声にはまるみがあった。そんな今の身分かと、咄嗟に見てとって、易者は一層自分を恥じ、鉛のようにさびしく黙っていた。
「おい、坂田君、僕や、松本やがな」
 忘れていたんかと、肩を敲かれそうになったのを、易者はびくっと身を退けて、やっと、
「五年振りやな」
 小さく言った。
 忘れている筈はない
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