に腹を立てていたのである。紀代子は並んで歩くにも、歩きようがなかった。
「もう少しゆっくり歩かれへんの?」われにもあらず、紀代子は哀願的になった。
「あんたが早よ歩いたらよろしいねん」
(こいつは上出来の文句だ)と豹一は微笑んだ。紀代子はむっとして、
「あんた女の子と歩く術も知れへんのやなあ。武骨者だわ」嘲笑的に言うと、豹一は再び赧くなった。女の子と歩くのに馴れている振りを存分に装っていた筈なのである。
(此の少年は私の反撥心が憎悪に進む一歩手前で食い止めるために、しばしば可愛い花火を打ち揚げる)文学趣味のある紀代子はこう思った。なお、(此の少年は私を愛している)と己惚れた。それを此の少年の口から告白させるのは面白いと思ったので、紀代子は、
「あんた私《うち》が好きやろ」
豹一はすっかり狼狽した。こんな質問に答えるべき言葉を用意していなかったのである。また彼は小説本など余り読まなかったから、こんな場合何と答えるべきか、参考にすべきものがなかった。無論、「はい好きです」とは言えなかった。第一、彼は少しも紀代子を好いていないのである。心にもないことを言うのは癪だった。暫く口をもぐもぐさせ
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