顔を見た途端、その気持が裏切られてしまったのだ。五月振りに、しかもああした事件があった後の出会いならば、もっと切ない気持がお互いに湧いた筈である。少くも、多鶴子は口も利けないほど切なかった。ところが、矢野はいけ洒蛙々々とした態度を見せた。多鶴子にはそう見えた。途端に、自分から逃げ出したかったのだと、多鶴子は思った。立話さえ憚からねばならぬ気持はわかる。しかし、それにしても、もう少し愛情の籠った態度を見せてくれてもよかりそうなものだと、後追い掛けた咄嗟の恨みだった。結局はじめからてんで愛情がなかったのだと、もうあとを追う気はしなかった。矢野に愛情がなかったと、思うと、多鶴子ははじめて自分が矢野を愛していたのだと、はっきりわかるような気がした。人気のためではない好いているからだった、――と、豹一に言った言葉もこの時の多鶴子の気持から押せば、満更弁解でもなかったわけだ。その証拠に、多鶴子はもう矢野のことを思い切らねばならぬと、思ったではないか。その瞬間の豹一は、どう見ても矢野よりも影が薄かった筈だ。と、同時にどんな醜男であるとしても、いくらかましに見えた筈だ。今夜「オリンピア」へ来てくれと、
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