は値打がないと、ひとびとはその泣き振りに見とれた。
しかし、二《ふた》七日の夜、追悼浄瑠璃大会が校長の肝いりで同じく日本橋クラブの二階でひらかれると、お君は赤ん坊を連れて姿を見せ、どっさり[#「どっさり」に傍点]の校長が語った「紙治」のサワリで、パチパチと音高く拍手した。
手を顔の上にあげ、人眼につきひとびとは眉をひそめた。軽部の同僚たちは、何か腹の中でお互いの妻の顔を想い泛べて、随分頼りない気持を顔に見せた。校長はお君の拍手に満悦したようだった。
三七日の夜、あらたまって親族会議があった。四国の田舎から来た軽部の父が、お君の身の振り方に就て、お君の籍は金助のところに戻し、豹一《こども》も金助の養子にしてもろたらどんなもんじゃけんと、渋い顔をして意見を述べ、お君の意嚮を訊くと、
「私《あて》でっか。私《あて》は如何《どない》でもよろしおま」
金助は一言も意見らしい口をきかなかった。
いよいよ実家に戻ることになり、お君が豹一を連れて日本橋の裏長屋へ帰ってみると、家の中は呆れるほど汚かった。障子の桟にはべたッと埃がへばりつき、天井には蜘蛛の巣がいくつも、押入れには汚れ物が一杯あった。お君が嫁いだ後、金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任せていたが、よりによって婆さんは腰が曲り、耳も遠かったのだ。
「此のたびはえらい御不幸な……」と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこら中はたきはじめた。
三日経つと、家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、実は田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとらざるを得なかった。そして、
――ここは地獄の三丁目、の唄が朝夕きかれた。よく働いた。そんなお君の帰って来たことを金助は喜んだが、この父は亀のように無口であった。軽部の死に就てもついぞ一言も纒まった慰めをしなかった。
古着屋の田中新太郎は既に若い嫁をもらっており、金助の抱いて行った子供を迎えに、お君が銭湯の脱衣場へ姿を見せると、その嫁も最近生れた赤ん坊を迎えに来ていて、仲善しになった。雀斑だらけの鼻の低いその嫁と見比べてみると、お君の美貌は改めて男湯で問題になるのだった。露骨に俺の嫁になれと持ち掛けるものもあったが、お君はくるりくるり綺麗な眼の玉をまわして、笑っていた。金助の所へ話をもって行くものもあった。その都度金助がお君の意見を訊くと、例によって、
「私《あて》は如何《どない》でも……」
良いが、俺は嫌だと、こんどは金助は話を有耶無耶に断ってしまった。
夏、寝苦しい夜、軽部の乱暴な愛撫が瞼に重くちらついた。見習弟子はもう二十一歳になっていて白い乳房を子供にふくませて転寝しているお君を見ては、固唾をのみ、空しく胸を燃していた。
歳月が流れた。
二
五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。
その日、大阪は十一月末というに珍らしくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長と共にすっかり老い込み、耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手をひっぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車にひかれたのだった。救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰かにもらったキャラメルを手にもち、ひとびとに取りかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、「あッ、あれは毛利のちんぴら[#「ちんぴら」に傍点]や」と自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が駈けつけると、黄昏の雪空にもう電燈をつけた電車が何台も立往生し、車体の下に金助のからだが丸く転っていた。ぎゃッと声を出したが、不思議に涙は出ず、豹一がキャラメルのべとべとひっついた手でしがみついて来たとき、はじめて咽喉の中が熱くなった。そして何も見えなくなった。やがて、活気づいた電車の音がした。
その夜、近所の質屋の主人が大きな風呂敷包をもってやって来、おくやみを述べたあと、
「実は先達《せんだって》お君はんの嫁入りのときでしてん。支度の費用や言うてからに、金助はんにお金を御融通しましたのや。そのときの品が、利子もはいってまへんので、もう流れてまんネやけど、なんやこうお君はんとこでは大切な品や思いまんので、相談によって何せんこともおまへん、と、こない思いましてな。何れ電車会社の……」慰藉金を少くとも千円と見込んで、これでんねんと出したのを見ると、系図一巻と太刀一振だった。ある戦国時代の城主の血をかすかに引いている金助の立派な家柄が、それでわかるのだったが、お君にははじめて見る品だった。金助から左様な家柄に就てついぞ一言もきかされたこともなく、むろん軽部も知らず、軽部がそれを知らずに死んだのは、彼の不幸の一つだった
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