ぐらいの甘い気持で、編輯室を辞した。
外に土門が待っていた。
「どうだった?」
「馘首じゃなかったです」そう言うと、土門は、
「そうだろう? おれの言うことに間違いはないだろう? 感心したろう?」
「はあ、感心しました」
「二円貸してくれ」
この際、こんな風に金を借りられることもなにか気持が良かった。
「ああ」軽く答えて、俸給袋を取りだしながら、すっかり心が軽くなっていた豹一は柄にもない冗談をふと言ってみたくなった。
「あのね、土門さん。お貸ししますがね。この前の借金はあれはもう何年ぐらいあとでかえしていただけますか?」
土門の手に金を渡しながら、そんな拙い冗談を言った。思い掛けない豹一のそんな冗談に土門は瞬間あっという顔を見せたが、さすがに、
「じゃあ、とにかく内金を入れて置こう。さあ、二円かえしたよ。帳面から引いといてくれ給え」今豹一から受け取ったばかしの金を、再び豹一にかえした。「ところで、その金で飯を食おうじゃないか」
「食いましょう」豹一はさすがは土門だと、げらげら笑いながら、言った。
支那料理屋を出ると、あたりはすっかり黄昏の色だった。豹一はそのまま土門と別れて帰るのが惜しいというより、ひとりになって孤独な気持のなかに閉じこもるのが怖かった。
「どうです? 活動でもみませんか?」豹一は土門を誘った。
「よし来た」
千日前へ出た。活動小屋の看板を見あげて歩きながら、土門は片っ端から演し物をこきおろした。弥生座の前まで来ると、土門は、
「東銀子どうしたか、君知ってるか?」と、訊いた。
知らないと答えると、土門は、
「失踪したんだ。行方不明なんだ。余り皆んながひどい目に会わせやがったんで、到頭小屋を逃げ出したんだ。悲しいこった。――ところで、このことでいちばん悲観してるのは、いったい誰だと思う?」
「北山さんでしょう?」
「半分当った。じつは、このおれもだ。いや、案外君もその一味かも知れんぞ! あ、は、は、……」土門の笑い声が寒空に響くのを、豹一はしょんぼりした気持できいた。
ある三流小屋の前まで来ると、豹一ははっと顔をそむけた。村口多鶴子の主演している古い写真がセカンドで掛っているのだった。絵看板のなかで、あくどい色に彩られた多鶴子の顔がイッと笑っていた。こそこそと通り過ぎようとすると、土門が、
「おい、君の恋人の写真やってるぞ! 見ようじゃないか」と、引き止めた。
豹一は怖い顔をして、切符売場へ寄って行った。
「切符はいらんよ」土門が言った声も、殆んどきこえなかった。
黒い幕をあげて、なかへはいると、いきなり多鶴子の声だった。顔だった。肢態だった。幅のひろい、しかし痩せた肩をいからせ気味に、首をうしろへそらして、うっとりとした眼で、男に取りすがり、
「…………」
なにを言ってるのか、豹一にはききとれなかった。涙がいっぱいの気持だった。なまなましい多鶴子の肢態の記憶が豹一の胸をしめつけていた。痛いような嫉妬が、多鶴子の白い胸のホクロひとつにまで哀惜を覚える心とごっちゃになって、豹一は身動きもせず、じっとスクリーンを見つめていた。
だんだんたまらなくなってきた。
写真のなかの多鶴子はピストルを握って、男に迫った。
「こりゃ。良きじゃね」
土門が豹一に囁くために、ふと横を向くと、いつのまにか豹一の姿が見えなくなっていた。
五
小屋を出るとすっかり夜だった。盛り場の灯がチリチリと冷たく、輝いていた。
豹一は薄暗い電車通に添うて、谷町九丁目の方へ帰って行った。
下寺町の坂下まで来ると、急にぱっと明るくなった。停留所の前のカフェのネオンが点滅しているのだった。
うなだれていた顔をあげて、ふとその方を見ると、真っ白に白粉をつけて、カフェの入口に立っている女の視線と打っ突かった。
「お兄さん。おはいりやすな」女は眼のまわりに皺をつくって、笑った。その笑いがネオンの色に、赤く染まり青く染った。
豹一はあわてて視線をそらし、寒々とした気持で坂を登りかけたが、だしぬけに、
(あの女を口説いてやろう)と、変なことを思いついた。
豹一はひきかえして、カフェのなかへはいって行った。入口に立っていた女が傍へ来た。
豹一はぱっと赧くなった切りで、物を言おうとすると体がふるえた。呆れるほど自信のないおどおどした表情と、すべての女に対する嫌悪と復讐の気持に凄んだ表情を、交互にその子供っぽい美しい顔に泛べながら、豹一はじっと女を見据えていた。
その夜、その女は豹一のものになった。自分から誘惑して置いて、
「お前は馬鹿な女だ」と、言ってきかせ、醜悪に固くなっている女のありさまを、残酷な快感を味いながら、じっと見つめた。そして、女をさげすみ、自分をさげすんだ。女は友子といい、豹一より一つ年下の十九歳だ
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