は「不採用」とメモに印をつけた。
「なぜ和服を着て来たんですか?」豹一の着流し姿を咎めて、一人が訊いた。椅子へ足の爪先を打っ突けたときの痛みが消えていなかったので、豹一は顔をしかめながら、
「洋服が無かったからです」と答え、(着流しはおもしろくなかったかな?)と思った。
「高等学校の制服はあるでしょうね」
「はあ、しかし、もう学生じゃありませんから」
「なぜ退学したのですか?」
「つまらなかったからです」
「赤じゃなかったんですか?」
「いや、落第したんです」
「理由は?」
「怠けたからです」もはや試験官の誰もが豹一の不採用を疑わなかった。広告文の出来が良くても、中学校から三高へはいった秀才でも、小さな会社ならいざしらず、うちのような大会社ではこういう男は困るのだ。しかし試験官よりも前に、もう豹一は不採用を覚悟していた。
「御苦労でした。結果は追って通知しますから」
丁度正午のサイレンが鳴っていた。三時間待たされたわけだと、豹一は思った。ひどく物腰の鄭重な男に見送られて、廊下を歩きながら、豹一はあの長髪の男はたぶん昼食の時間の済むまでもう一時間待たされるだろうと思った。
一週間経つと、不採用の通知が来た。その会社で発売している薬の見本袋が封筒の中にはいっていた。なるほど家族主義だなと思いながら、豹一はそれをごみ箱へ捨ててしまい、また履歴書を書いた。翌日の新聞に、その会社の広告文案募集の広告が出ていた。
二
豹一が就職を焦っているのを見て、お君は、
「なにもお前が働かんでもええ」と言ったが、そう言われると豹一は一層焦った。毎朝新聞がはいる音で眼が覚めた。寝床のなかへ持ってはいって眼を皿のようにして、就職案内欄を見た。適当と思われる募集が出ていると、もうそわそわして寝つかれなかった。就職とはこんなに困難なものかと、なにか慄然とする想いだった。
ある日、「調査係募集。学歴年齢ヲ問ワズ。活動的人物ヲ求ム。某財閥直営会社。本日午前十時中央公会堂二階別室ニテ面会ス」という広告を見て、中之島の中央公会堂へ出掛けたところ、調査係とは体の良い口調で、実は生命保険の勧誘員のことだった。しかし、ここでも年齢が若すぎるという理由で断られた。
「せめてもう一つ位年が行っていたらな。来年もう一ぺん来とくなはれ、なんとかしまっさかい」と、代理店長らしい男に言われた。
(俺が来年まで就職出来ないと決めていやがる)
と豹一は腹を立てたが、しかしふと、一年や二年は失業したままでいる人間がざらにあるのだと思うと、そんな言葉もあるいは有難く聴くべきところかも知れないと、ひどく元気のない歩き方で薄暗い公会堂の階段を降りた。
帰りの電車は立てこみ、乱暴に踏みつけられた。その拍子に、(俺は生命保険の勧誘員にも成れないんだ)としょんぼり頭に泛んで、腹を立てる元気もなく、片一方の足で踏まれた足をこそこそと撫でていた。が、帰ると、日本畳新聞社から記者採用の通知が来ていた。
翌日、勝山通の日本畳新聞社へ出掛けた。電車の中で「採用致し度く、ついては一応御面談の儀もあり――」と薄い青色のインクで走り書きしたハガキを何度もふところから取出してみた。本当に採用かどうかと不安な気持で、空いた席がありながら、ずっと立ったままだった。勝山通四丁目で降りて、新開地らしく雑然と小売店や鉱業事務所が両側に並んでいるコンクリートの道を勝山通八丁目の生野女学校の傍まで行ったが、それらしい会社は見つからなかった。番地もとびとびだった。ひきかえして、省線のガード下を折れて行くと、薄汚いしもた屋の軒に「日本畳新聞社」と小さな看板が出ていた。格子窓の上に掛っている日覆にもその字があった。
戸をあけると、三和土の右側に四畳半位の板の間があり、机と椅子が二つ窓側に並び、そのうしろに帳簿棚が、その前にも机と椅子があった。それで辛うじてその板の間の部屋が事務所らしい体裁を備えていた。三和土のうしろに格子戸があり、台所が隙間から見えた。板の間から一段あがって、奥の座敷があるらしかった。
案内を請うと、奥からでっぷり肥えた四十位の女が出て来た。片一方の眼がぎらぎら光って、じっと横の方を凝視していた。義眼らしかった。葉書を見せると、板の間の椅子へ坐らせて、女は押入の戸をあけて、そこについている二階への階段をばたばたと上って行った。かと思うと直ぐ降りて来て、
「どうぞお二階へお上りやしとくれやす」と言った。スリッパを脱ごうとすると、
「どうぞそのままで。だいじおへんどっせ」京都訛で言った。二階へ上ると、窓側の机の前にあぐらをかいて、浴衣掛けのまま、ペンを走らせていた男が振り向いて、ガラスペンを耳の横へ挟むと、
「さあ、こっちへ来とくなはれ」と畳の上に置いてある籐椅子をすすめた。小柄な上にひど
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