鹿な奴だと思った。むしろ役所の小役人風めいたおどおどしたその男の態度が哀れだった。が、その男よりもその生徒の方を一層軽蔑した。恐らくその男の貧弱な服装を見て、先輩とは偽だと睨んで、突っ掛って行ったに違いない。
(良い服装の堂々たる押し出しの男から先輩だと言われたのなら、たぶんぺこぺこして盞を貰いに行っているところだろう)
「言えないだろう? ざまあ見ろ! 第三高等学校の先輩だなんて、良い加減なことを言うと、承知せんぞ!」
まるで犯人に言うような言い方で、その生徒が呶鳴ると、拍手があった。すると、彼はますます得意になって、じろじろ部屋の中を見廻しながら、
「俺は官立第三高等学校第六十期生山中弦介だ!」
最期の花火を打ち揚げると、すっかり悄気て何やらぶつぶつ口の中で呟いているその男を尻眼に席へ戻った。途端に、豹一の耳の傍で、
「三高生がなんだ?」
割れるような声がした。赤井だった。
「誰だ? 呶鳴った奴は……」向うから先刻の生徒がそう呶鳴った。
「俺だ!」そう言って赤井が立とうとするのを、豹一は止めて、
「僕に任せろ」とふらふらと立って、
「文句のある奴は表へ出ろ!」そう叫びながら、外へ出て行った。その拍子にまるで地の揺れるような眩暈がして、ゲッと異様なものが胸を突きあげて来た。豹一は塀に両手を突いて、反吐を吐いた。眼の前が一瞬真っ白になり、倒れそうになった咄嗟に、
(誰も出て来ないな)と思った。「止せ! 止せ! 向うも三高生だよ」としきりに止めているらしい声が聴えた。ガラス障子のなかには濛々たる煙が立ちこめ、人々が蠢いているのを遠い舞台を見るように眺めた。すっかり吐いてしまって、暫く塀に凭れてしゃがんでいると、不思議なくらいしゃんとして来た。
誰も出て来ないと分ると、豹一は自分の行動が妙に間の抜けたものに思われて来た。赤井に先を越されたという想いと、一つにはその生徒の英雄を気取った、威嚇的な態度に対する義憤から、飛び出してみたものの、一人相撲の感があった。
(うまい時に飛び出して反吐を吐くところを誰にも見つけられなかっただけが、もっけの倖いだった)そう諦めて、豹一は再び正宗ホールのガラス障子をあけた。先刻の生徒と視線が合った。豹一はわざとその傍をゆっくり通って、元の席へ戻った。
赤井は向い側に坐っている二人連れの上品な顔をした男と前から知り合いのような顔で、盞
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