落ちかねた。が、さすがに日焼けした顔に泛んでいるしょんぼりした表情を見ては、哀れを催した。天婦羅丼をとったりして、もてなしたが、彼はこんなものが食えるかと、お君の変心を怒りながら、帰ってしまった。その事を夕飯のときに軽部に話した。軽部は新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて、箸、茶碗、そしてお君の頬がぴしゃりと鳴った。お君はきょとんとした顔で暫く軽部の顔を見ていたがにわかに泣声を出した。すると、大きな涙がぽたぽたと畳の上に落ちた。泣声をあとに、軽部は憂鬱な散歩に出掛けた。出しなに、ちらりと眼に入れた肩の線がそんな話のあとでは一層悩ましく、ものの三十分もしない内に帰って来ると、お君の姿が見えぬ。火鉢の側に腰を浮かせて、半時間ばかりうずくまっていると、
――魂抜けて、とぼとぼうかうか……、
声がきこえ、湯上りの匂いをぷんぷんさせて、帰って来た。その顔を一つ撲って置いてから、軽部は、
「女いうもんはな、結婚まえには神聖な体でおらんといかんのやぞ。キッスだけのことにしろやね、……」
言い掛けて、いつかの苦い想出がふっと頭に来た。何か矛盾めくことを言うようだったから、簡単な訓戒に止めることにした。軽部はお君と結婚したことを後悔した。しかし、お君が翌年の三月、男の子を産むと、日を繰ってみてひやっとし、結婚して置いて良かったと思った。生れた子は豹一と名付けられた。日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄が未だ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。
同じ年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、随分盛会だった。
軽部村彦こと軽部八寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことだからと露払いを買って出で、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の前で簾を下したまま語ったが、それでも、沢正オ! と声が掛ったほどの熱演だった。熱演賞として湯呑一個貰った。露払いを済ませ、あと汗びしょのまま会の接待役としてこまめに立ち働いたのが悪かったのか、翌日から風邪をひいて寝込んだ。こじれて急性肺炎になった。かなり良い医者に診てもらったのだが、ぽくりと軽部は死んだ。涙というものは何とよく出るものかと不思議なほど、お君はさめざめと泣き、夫婦はこれでなくて
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