。掛け給え」と言った。風向きが違うぞと豹一は思い、もし風紀係にでもなれという相談だったら断ろうという覚悟を椅子にどっかりと乗せていると、
「君高等学校へ行く気はないか」
と意外なことを訊かれた。つい最近も教室で上級学校志望の調査表を配られた。四年生になると、もう卒業後の志望を決めて置く必要があるのだった[#「あるのだった」は底本では「あるのだつた」]。彼は上級学校へ行く希望はない旨、書き入れて置いた。中学校を卒業させてくれるだけで精一杯の母親のことを考えると、行きたくても行けぬところだったのである。
「はあ、べつに……」と答えた。
「なぜかね?」校長が訊いたが、豹一は答えられなかった。自分の境遇を説明出来なかった。
「なんででも、行きたいことないんです」
「そりゃ惜しいね」と校長は言い、「実は……」と説明したのはこうだった。ある篤志家があって、大阪府下の貧しい家の子弟に学資を出してやりたい。無論、条件がある。品行方正の秀才で四年から高等学校の試験に合格した者に限る。それも入学試験のむずかしい一高と二高と三高だけに限り、合格した者は東京、京都のそれぞれの塾へ合宿させる。そんな条件に適いそうな生徒があったら推薦してくれと、府下の中学校へ申込んで来た。その候補の一人に豹一が選ばれたのである。
(すると、俺は貧乏人の子だと太鼓判を押されたわけだな)と豹一は思った。どうして校長がそれを知っているのだろうと考えて、思い当るところがあった。
(俺が授業料滞納の選手権保持者だということを知っているんだな)豹一はみるみる赧くなり、逃げ出したい位の恥しさだった。と同時にむっとした。(俺はそんな施しは御免だ! 四年から一高か三高へはいれた秀才に限るだなんて、まるで良種の犬か競走馬を飼うつもりでいやがる)
豹一は腹を立てたが、しかしそんな候補に選ばれたことは少くとも成績優秀だと校長に認められたことになるのだと、些か慰まるものがあった。そんな豹一の心にまるで拍車を掛けるように、校長は、
「君が行きたくないということは、実に惜しいことだ。他にも候補者はいるけれど、自校《うち》では四年から一高か三高へ大丈夫はいれるのは君ぐらいだからな」と言った。豹一の自尊心は他愛もなく満足された。思わず微笑が泛んで来るぐらいだった。が、豹一は周章てて渋い顔になると、
「候補者は誰と誰ですか?」と訊いた。
「
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