六つあるややこしい百軒長屋もあった。二階建には四つの家族が同居していた。つまり路地裏に住む家族の方が表通りに住む家族よりも多く、貧乏人の多いごたごたした町であった。
 しかし不思議に変化の少い、古手拭のように無気力な町であった。角の果物屋は何代も果物屋をしていた。看板の字は既に読めぬ位古びていた。酒屋は何十年もそこを動かなかった。風呂屋も代替りをしなかった。比較的変遷の多い筈の薬屋も動かなかった。よぼよぼ爺さんが未だに何十年か前の薬剤師の免状を店に飾っているのだった。八百屋の向いに八百屋があって、どちらも移転をしなかった。一文菓子屋の息子はもう孫が出来て、店にぺたりと坐った一文菓子を売る動作も名人芸のような落着きがあった。相場師も夜逃げをしなかった。
 公設市場が出来ても、そんな町のありさまは変らなかった。普請の行われることがめったになかった。大工はその町では商売にならなかった。小学校が増築される時には、だから人々は珍らしそうに毎日普請場へ顔を見せた。立ち退きを命ぜられた三軒のうち、一家は息子を新聞配達に出し、年金で暮している隠居だったが、自分の家のまわりに板塀を釘づけられても動かなかった。小さな出入口をつけて貰ってそこから出入した。立のき料請求のためばかりではなかったのである。
 全く普請は少かった。路地の長屋では半分崩れかかった家が多かった。また壁に穴があいて、通り掛った人が家の中を覗きこめるような家もあった。しかし、大工や左官の姿も見うけられなかった。最近では寿司屋が近頃|十《テン》銭寿司が南の方で流行して商売に打撃をうけたので、息子が嫁を貰ったのを機会に、大工を一日雇って店を改造し、寿司のかたわら回転焼を売ることになったことなどが目立っている。
 ところが、野瀬安二郎が大工を五日も雇ったので、人々はあの吝嗇漢《しぶちん》[#ルビの「しぶちん」は底本では「しぶんち」]の野瀬がようもそんな気になったなと、すっかり驚かされた。転んでもただでは起きぬ野瀬のことやから、なんぞまたぼろいことを考えとるのやろと言うことになった。その通りである。
 安二郎の隣に万年筆屋が住んでいた。一間間口の小さな家だったが、代々着物のしみ抜き屋だったが、中学校を出たそこの息子の代になると、万年筆屋の修繕兼小売屋へハイカラ振って商売替えすることになり、安二郎にその資本三百円の借用を申し込ん
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