ていたが、やっと、
「嫌いやったら一緒に歩けしまへん」という言葉を考え出して、ほッとした。
「けったいな言い方やなあ。嫌いやのん。それとも好きやの。どっちやの。好きでしょ?」さすがに終りの方は早口だった。豹一は困った。好きでない以上、嫌いだと答えるべきだが、それでは余り打ちこわしだ。
「好きです」小さな声で、「好き」という字をカッコに入れた気持で答えた。紀代子ははじめて、豹一を好きになる気持を自分に許した。
 しかし、豹一は「好きです」と言ったために、もう紀代子に会うのが癪だと思っていた。翌日は日曜だったので、もっけの倖いだと思った。紀代子を獲得するまで毎日紀代子に会うべしと、自分に言い聴かせていたのだった。豹一は千日前へ遊びに行った。楽天地の地下室で、八十二歳の高齢で死んだという讃岐国某尼寺のミイラが陳列されていた。「女性の特徴たる乳房その他の痕跡歴然たり。教育の参考資料」という宣伝に惹きつけられて、こそこそ入場料を払ってはいった。ひそかに抱いていた性的なものへの嫌悪に逆に作用された捨鉢な好奇心からだった。
 自虐めいたいやな気持で出て来た途端、思い掛けなくぱったり紀代子に出くわした。(変な好奇心からミイラを見て来たのを見抜かれたに違いない)豹一はみるみる赧くなった。近眼の紀代子は豹一らしい姿に気がつくと確めようとして、眼を細め、眉の附根を引き寄せていた。それが眉をひそめていると、豹一には思われた。胃腸の悪い紀代子はかねがね下唇をなめる癖があり、此の時も、おや花火を揚げている、と思ってなめていた。そんな表情を見ると、もう豹一は我慢が出来なかった。いきなり、逃げ出した。
(あんな恥しいところを見られた以上、俺はもう嫌われるに違いない)豹一は簡単にそう決めてしまった。すると、もう紀代子に会う勇気を失うのだった。もう彼は翌日から紀代子を待ち伏せしなかった。
 ところが、紀代子は豹一が二、三日顔を見せないと、なんとなく物足りなかった。楽天地の前で豹一が逃げ出した理由も分らぬのである。
「何故逃げたのだろうか?」そのことばかり考えていた。つまり、豹一のことばかり考えるのと同じわけである。(嫌われたのではないだろうか?)己惚れの強い紀代子にはこれがたまらなかった。(あんなに仲良くしていたのに……)
 やがて十日も豹一の顔を見ないと、彼女はもはや明らかに豹一を好いている気持を否
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