。君の姿が見えんから、えらい淋しがっとる。奴さん、君に気があるんだよ。用心し給え」そしてまた会計係とぶつぶつ押問答をはじめた。
 しかし、豹一は動こうともしなかった。なぜか編輯長に会わせる顔がないと思った。
「さあ早く行った、行った。行くなら早い方が良いぞ。じらすのは悪い。君のにおいがもう二階までにおってるからね。奴さん気が気じゃないよ。君のように、そうものごとにいちいちこだわってると、北山みたいに頭がはげあがるよ」
 土門に言われて、豹一は、(そうだ。このまま編輯長に会わずに帰るのは、かえって失礼になる。たとえ辞めるにしても一応断ってからにするのが礼儀だ)と、思いながら、やっと二階への階段をあがって行った。
 その気の弱さと紙一重の裏あわせになっている豹一の気持から推して、普通なら、黙ってしまうところだった。そしてお互い気まずい想いをし、あげくは、相手が怒っているだろうと気をまわして、その必要もないのに敵愾心すら抱くような破目になるところだった。だから、そのように編輯長に会う気になれたことは、豹一にとっては嬉しかった。
 果して結果はよかった。編輯長は豹一の顔を見るなり、
「どないしてたんや? えらい心配してたんやぜ。君、物凄い立廻りやった言うことやな」笑いながら言った。
「はあ。そのことでお詫び……」と、豹一が言いかけるのを、終いまで言わさず、
「構へん。構へん。気にしなや。よその新聞に書かれたぐらいで気にしたらあかん」
「でもあんな風に書かれましたら、……」
「どない書きよっても構へんやないか。君はなにか、中央新聞の記事を認めるのんか。中央新聞の威力におそれを成してるのんか。君は中央新聞の廻し者とちがうやろ? そやろ? そんなら、あんな記事黙殺したら良えやないか。それよりうちの新聞にひとつ良え記事書いてえな」その言葉で、馘首ではなかったことがはっきりわかったも同然だった。
 豹一はこれまであらゆる人間を敵愾心の対象にしていた。人を見れば泥棒と思えのでん[#「でん」に傍点]で、人さえ見れば自尊心を傷つけて掛って来るものと思って、必要以上に敵愾心を燃やしていたのである。
 ところが、そうした編輯長の大阪弁まるだしのとぼけた話し振りに接していると、なにかしみじみとした雰囲気に甘くゆすぶられる想いで彼は敵愾心に苛立っている日頃の自分の醜さに恥しくなった。豹一は泣きたい
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