て切抜記事を探していると、うつらうつらするのだった。そんな時は、いつか新聞の家庭欄などを見るともなく見ているのだが、ふと何やら園井の気配を感ずると、周章てて新聞をパラパラめくって、なんとなく鋏を取り上げたりした。ふと振り向くと、園井は物差の横ににじんだインクをせっせと吸取紙で拭っているなど、園井の勤務振りは一分の隙もなかった。
社長は二階で裸になってせっせっと記事を書いているし、妻君は奥の座敷で針仕事をしながら、居眠りをしたり、煙草を吸いながら虚ろな眼でじっと膝の上の猫を見たりしているし、結局誰も見ているわけでないのに、なぜ園井はこんなに真剣になって仕事をするのかと、豹一は驚いてしまった。
社長と園井が印刷所へ出張校正に行った留守中、豹一が帯封を書いていると、妻君が奥から出て来て、
「毛利はん。済んまへんけど、あんた、一つ手紙書いてくれはれしまへんどっしゃろか」と豹一に手紙の代筆を頼んだ。大津の料理屋で働いている彼女の友達から、近況問合せの手紙が来た、その返事を書いてくれと、彼女は言い、
「どんな風に書きましょう」豹一が訊くと、
「わてのこのお腹《なか》のなかにたまってる、いやや、いやや、思う気持を一ぺん正直に書いてほしいんどっせ」そして、彼女はこまごまと、「身の上話」をはじめた。
彼女は大津の料理屋で仲居をしていたが、一昨年社長の先妻が死んだ後釜にはいった。むろん浮いた仲ではない。仲人の口利きで、ちゃんとした見合結婚だったが、二十以上も年の違う社長と結婚する気になったのは、仲人の口で、社長が十年新聞を経営している間に五、六万の金をため、おまけに子供がないという点に心を惹かれたからだった。社長はもう六十過ぎているから、老先は短い。してみると、遺産の転り込むのも早いことだと慾を出して、来てみると、社長は未だピンピンしてけちくさく、嫉妬深い。それは我慢出来るとしても、どうにも我慢出来ないのは、結婚したのに籍をいれてくれず、おまけに園井の薦めで跡取に十二の子を養子に貰ったことだ。その養子はこともあろうに、園井の甥で、いずれ社長が死んだ暁は遺産は全部養子のものになり、後見者の園井が自由にしてしまうに違いない。
「わてらには一文も転り込んで来えしまへんのどっせ。そらまあ、よろしおすけど、未《いま》だに市場行きの金かてわてに自由にさせてくれはらしまへんのどっせ。それに、あ
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