しかし、掌の上へひろげた新聞紙にパンを二つ載せて、六円々々と小さな声でポソポソ呟いている中年の男も、以前は相当な暮しをしていた人であろう、立派な口髭を生やしていた。その男の隣にしゃがんでいる女は地面《じべた》に風呂敷包みをひろげて資生堂の粉ハミガキの袋を売っていた。袋は三個しかなく、早朝から三個のハミガキ粉を持って来て商売になるのだろうかと、ひとごとでなく眺めた。自分もいつかはこの闇市に立たねばならぬかも知れぬのだ。親子三人掛かりで、道端にしゃがみながら、巻寿司を売っているのもいた。
 闇市を見物してしまうと、新世界までトボトボ歩いて行ったが、昔の理髪店はやはり焼けていた。焼跡に暫らく佇んで、やがて新世界の軍艦横丁を抜けて、公園南口から阿倍野《あべの》橋の方へ広いコンクリートの坂道を登って行くと、阿倍野橋ホテルの向側の人道の隅に人だかりがしていた。広い道を横切って行き、人々の肩の間から覗くと、台の上に円を描いた紙を載せて、円は六つに区切り、それぞれ東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の六大都市が下手な字で書いてある。台のうしろでは二十五六の色の白い男が帽子を真深《まぶか》に被って、
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