案の定検閲を通りそうになかったのである。案の定だから悲観もしなかった。
「ああ、あれ、友達に貸したんじゃない?」
 家人は吐きだすように言った。私がそのような小説を書くのがかねがね不平らしかった。良家の子女が読んでも眉をひそめないような小説が書いてほしいのであろう。私の小説を読むと、この作者はどんな悪たれの放蕩無頼かと人は思うに違いないと、家人にはそれが恥しいのであろう。親戚の女学校へ行っている娘は、友達の間で私の名が出るたび、肩身がせまい想いがするらしい。
「そうだったかな。しかし誰に貸したんだろうな」
「一人じゃないでしょう。来る人来る人に喜んで読ませてあげていたでしょう」悪趣味だという口つきだった。
「最後に貸したのは誰だったかな。――忘れた。ズルチン呆けしたかな」ズルチンはサッカリンより甘いが、脳に悪影響があるからやめろと、最近友人の医者から聴いていた。
「――誰だか忘れたが、たぶん返しに来た筈だ。押入の中にはいっていないか」
「さア」と、それでも押入の戸は明けて、
「――今いるんですの?」
「まアいいや、無ければ。今書いている原稿の代りに『十銭芸者』を送ろうと思ったんだけど…
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