自分がやったのだと、自首して来た男がいる。事件発生後行方を韜ませていたバタ屋である。調べると、自分は何十年も前から女の情夫であったといい、嫉妬ゆえの犯行だと陳述するが、しかしだんだん調べると、陳述の辻褄が合わない。兇器も出て来ないし、陳述そのものがアリバイになっているくらいである。警察では真犯人は別にいると睨む。果して犯人は捕まる。バタ屋がいつわって自首したのは、自分以外の人間が女の下腹部を斬り取って殺したということに、限りない嫉妬を感じたからである。その時女は五十一歳、男は五十六歳――とする)戎橋筋は銀行の軒に易者の鈍い灯が見えるだけ、すっかり暗かったが、私の心にはふと灯が点っていた。新しい小説の構想が纒まりかけて来た昂奮に、もう発売禁止処分の憂鬱も忘れて、ドスンドスンと歩いた。
 難波から高野線の終電車に乗り、家に帰ると、私は蚊帳のなかに腹ばいになって、稿を起した。題は「十銭芸者」――書きながら、ふとこの小説もまた「風俗壊乱」の理由で闇に葬られるかも知れないと思ったが、手錠をはめられた江戸時代の戯作者のことを思えば、いっそ天邪鬼な快感があった。デカダンスの作家ときめられたからとて、
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