、私の手を無理矢理その中へ押し込もうとした。円い感触にどきんとして、驚いて汗ばんだ手を引き込めようとしたが、マダムは離さずぎゅっと押えていたが、何思ったか急に、
「ああ辛気臭《しんきくさ》ア」と私の人さし指をキリキリと噛みはじめた。痛いッと引抜いて、
「見ろ、血がにじんでるぞ。こらッ、歯型も入れたな」
 そう怒りながら、しかしだらしない声を出して少しはやに下り気味の自分が、つくづく情けなくなっていると、マダムは気取った声で、
「抓りゃ紫、食いつきゃ紅《べに》よ、色で仕上げた……」云々と都々逸であった。
 私は悲しくなってしまって、店の隅で黙々と洗い物をしているマダムの妹の、十五歳らしい固い表情をふと眼に入れながら、もう帰るよと起ち上ったが、よろめいて醜態であった。
「這うて帰る積り……?」その足ではと停めるのを、
「帰れなきゃ野宿するさ。今宮のガード下で……」
「へえ……? さては十銭芸者でも買う積りやな」
「十銭……? 十銭|何《なん》だ?」
「十銭芸者……。文士のくせに……」知らないのかという。
「やはり十銭漫才や十《テン》銭寿司の類《たぐい》なの?」
 帰るといったものの暫らく歩
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